
15年を振り返り
減災コラム
2011年3月11日14時46分に発生した巨大地震により、かつてない災害となった東日本大震災、今回は当時とこれまでについて自分自身が感じたことを振り返ってみたいと思います。
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当時、気象情報番組配信中で、北陸で海上竜巻が発生し、その位相が会津から宮城方面に移動する可能性と降雪があることを解説中でした。14時46分、緊急地震速報が発表され、第1報は三陸沖、深さ10km、マグニチュード5.9最大震度3でした。その後、推定されるマグニチュードと最大震度は大きくなり続け、最終的にマグニチュード8.1、最大震度6弱程度となりました。

当時の放送・スタジオの様子
この時点では津波警報は発表されていませんでしたが、震源の位置、地震の規模から津波の可能性について伝え続けました。なお、この巨大地震の確定した震源要素は、三陸沖、深さ24km、マグニチュードはモーメントマグニチュード9.0でした。
千葉市にあるウェザーニューズ予報センター付近では震度5強となり、また高層ビルにあることから長周期地震動により大きく横に揺さぶられ、キャスター付きの椅子は座っていても動きだすような状況でした。津波警報が発表され、予想される津波の高さが10mとなり、津波により自分がこれまで経験したことのない災害が発生することが予見できました。
地震発生から津波の到達まではある程度時間があります。この時間は避難するための猶予時間と言っても良いでしょう。この猶予時間を最大限に活かすために、津波情報を伝え、避難の呼びかけをし続けました。ただ、結果はみなさんもご存じのとおりです。2万人を超える死者、行方不明者の約90%が津波によるものでした。

当時の写真1

当時の写真2
情報は必要な人に伝わり、伝わった人が避難行動を起こし、結果として命が守られて初めて役に立ったと言えると思います。当時を振り返り真っ先に思い浮かんだのは、必要な人に伝わっていたのだろうか、ということでした。当時、通信は途絶し手持ちのデバイスで情報を得ることは困難な状況だったと思います。また、大きく長い揺れに見舞われ、すぐに情報を得ようと行動するよりも、まずは身を守る行動をとったかと思います。そうこうしている間に状況はさらに悪化していったと想定できます。
地震発生から津波第1波到達までのタイムラグや、第2波、第3波とさらに大きな津波が襲来するまでの間に情報が無いがゆえに、避難した場所から危険な場所へ戻ってしまったり、危険な場所へ迎えにいったりして犠牲になったケースも多くありました。情報が正しく伝わっていれば、これらの行動を抑止し、犠牲者を減らすことができたのではないかと今でも引っかかっています。

当時の写真3
この震災を契機に通信の途絶を最小限にする対策は、この15年でかなり進みました。スマートフォンを持っているのが当たり前の時代になっています。このことから、当時と同じことが発生しても、情報を得ることができずに犠牲になるケースは、かなり減るのではないでしょうか。あとは、その情報が信頼できるものかどうかになります。
信頼できる情報であれば、それを信じて避難行動をとる人々は増えるはずです。一人でも多くの人が救われるために、信頼できる情報源として多くの人に認知してもらい、いざという時に役に立ててもらいたい、そのための努力はこれからも続けて行かなければならない、15年を振り返ってそんな想いを再確認しました。
執筆 ウェザーニューズ 宇野沢達也
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