「天長節」と呼ばれた天皇誕生日
昭和前半まで天皇誕生日は「天長節」と呼ばれていました。「天は長く地は久し」(老子)からとった言葉で、天地が永久であるように天皇の治世も続くようにという意味が込められています。天皇誕生日を天長節として祝う慣習は8世紀から続く伝統でした。
そのため天長節は、明治天皇の誕生日(11月3日)、大正天皇の誕生日(8月31日)、そして昭和天皇の誕生日(4月29日)という具合に天皇が代替わりすると日付が変わりました。
そのため天長節は、明治天皇の誕生日(11月3日)、大正天皇の誕生日(8月31日)、そして昭和天皇の誕生日(4月29日)という具合に天皇が代替わりすると日付が変わりました。
自然の恩恵に感謝する日
1948(昭和23)年に国民の祝日に関する法律が制定されると、それまで「天長節」と呼ばれた日が「天皇誕生日」に改められました。祝日法には祝日の意味が定められていますが、「天皇誕生日」は「天皇の誕生を祝う」とシンプルです。
昭和天皇が崩御すると、天皇誕生日は明仁上皇の誕生日(12月23日)に移動します。それまでの天皇誕生日だった4月29日は「みどりの日」という祝日になります。祝日法に「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」と定められました。
昭和天皇が崩御すると、天皇誕生日は明仁上皇の誕生日(12月23日)に移動します。それまでの天皇誕生日だった4月29日は「みどりの日」という祝日になります。祝日法に「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」と定められました。
昭和の時代を顧み、将来に思いをいたす
「みどりの日」は2005(平成17)年の祝日法改正で「昭和の日」に改められ、2007(平成19)年から施行されました。「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と祝日法に定められています。戦前の「天長節」から数えると3回目の名称変更で、これほどの変遷は異例です。
玉突きで押し出された「みどりの日」
さて、18年間続いた「みどりの日」は廃止されると思いきや、玉突きで押し出されたかっこうで5月4日に移動しました。後ろに5日移動しても新緑の季節であることに変わりにありません。新緑がまぶしい季節を迎えるこの時季は、例年「みどりの月間」として、身近な緑や森林に親しんでもらえるようさまざまな緑化行事が行われていました。
今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で軒並み中止となっていますが、買い出しの途中や窓の外など、可能な範囲で新緑を楽しんではいかがでしょうか。
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