マグニチュード9.1、大津波の高さは34m
「スマトラ島沖大地震」は、史上最大級の地震によるだけでなく、津波によって被害が拡大しました。
震源は、スマトラ島の西方約160km、深さ10kmのスンダ海溝上でした。スンダ海溝は、インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下へ沈み込む形となっており、プレートの沈みの反発により地震が多発する地帯です。
スマトラ島沖⼤地震も、このプレートの境界で発⽣した海溝型地震です。
はじめに北緯3.3度、東経 95.8度付近で地震が発⽣、次いで北方のニコバル諸島やアンダマン諸島付近にまで地震が拡大しました。震源に近い地域であるインドネシア・アチェ州の州都バンダアチェでは、強い揺れが6〜7分間も続いたといいます。
「後の聞き取り調査では、ほとんどの⼈は『⽴っていられない』『転んでしまった』ほどの強い揺れを感じています。イスラム信仰で『世界の終末』を意味する『キアマット』ではないかと感じていた人も少なくなかったといいます」(⾼橋先⽣)
震源は、スマトラ島の西方約160km、深さ10kmのスンダ海溝上でした。スンダ海溝は、インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下へ沈み込む形となっており、プレートの沈みの反発により地震が多発する地帯です。
スマトラ島沖⼤地震も、このプレートの境界で発⽣した海溝型地震です。
はじめに北緯3.3度、東経 95.8度付近で地震が発⽣、次いで北方のニコバル諸島やアンダマン諸島付近にまで地震が拡大しました。震源に近い地域であるインドネシア・アチェ州の州都バンダアチェでは、強い揺れが6〜7分間も続いたといいます。
「後の聞き取り調査では、ほとんどの⼈は『⽴っていられない』『転んでしまった』ほどの強い揺れを感じています。イスラム信仰で『世界の終末』を意味する『キアマット』ではないかと感じていた人も少なくなかったといいます」(⾼橋先⽣)

強く長く続いた揺れにより、多くの家屋が倒壊するなどの被害をもたらしました。しかし、人的被害の大部分はその後に起きた津波によるものです。
地震発生後、30分〜1時間でスマトラ島沿岸を津波が襲い、約2時間後にタイやスリランカ、3時間でインド東岸、8時間でアフリカ東海岸に到達したとされています。
津波は到達した地域の地形から最大で高さ34mにもなり、被害を大きくしたのです。インドネシアはもちろん、タイ、マレーシア、インド、スリランカなど、広い範囲の地域に被害が及び、10ヵ国以上で死者・行方不明者が出ました。
「なかでも被害が⼤きかったのが、震源域に近いインドネシアのアチェ州です。アチェ州だけでインドネシアの総犠牲者の大半を占めました」(⾼橋先⽣)
地震発生後、30分〜1時間でスマトラ島沿岸を津波が襲い、約2時間後にタイやスリランカ、3時間でインド東岸、8時間でアフリカ東海岸に到達したとされています。
津波は到達した地域の地形から最大で高さ34mにもなり、被害を大きくしたのです。インドネシアはもちろん、タイ、マレーシア、インド、スリランカなど、広い範囲の地域に被害が及び、10ヵ国以上で死者・行方不明者が出ました。
「なかでも被害が⼤きかったのが、震源域に近いインドネシアのアチェ州です。アチェ州だけでインドネシアの総犠牲者の大半を占めました」(⾼橋先⽣)
なぜ、こんなに死者数が増えたのか?
それにしても、なぜこれほど被害が大きくなったのでしょうか。高橋先生によると、被災地アチェ特有の事情があったといいます。
「まず、地震が起きたときに、行政からの津波警報などの災害情報や避難指示といった、日本にあるような早期警報システムがなかったことです。
インドネシア・アチェ州を含むスマトラ島北部地域は、古くから東アジア・東南アジアの中継港であり、東⻄の⽂物が運ばれる交流ネットワークの要となってきました。
しかし、発災時、アチェ州は実質的に『アチェ紛争』という内戦状態にあり、地⽅政府の⾃治的な⼒が発揮されていない状態でした。バンダアチェ市には、正確な⼈⼝統計すらなかったのです」(⾼橋先⽣)
人々にも津波に対する予備知識や避難行動がありませんでした。
バンダアチェ市政府によると、全壊家屋が14000棟、半壊家屋3000棟、⼀部損壊家屋が4000棟になります。しかし、建物被害の状況は、海岸沿いの⾯的に破壊された地域から、距離によって減っていき、内陸ではほとんど無傷になります。地震発⽣後すぐに内陸の⾼い位置へ避難していれば⼈的被害が軽減されたと考えられます。
「地震後に海岸から海⽔の引いているのを⾒て、海岸にいた⼈々が海底に取り残された⿂を拾いに⾏ってしまったことに象徴されるように、現地の⼈々に津波への警戒はまったくありませんでした。
インドネシア語には“津波”に対応する表現もなく、津波を⾒た⼈々は『海が上がった』『⽔が上がった』と叫んでいたといいます。
それを聞いた⼈も、すぐに避難⾏動につながったわけではありません。ほとんどの人は、大きな地震の後に津波がくるかもしれないということを知らなかったようです。洪⽔程度だと考えて、家に戻る⼈もいたのです。
そうして、人々は津波が目の前に迫ってきてはじめて、走って逃げることしかできなかったのです。
津波の早期警報システムはアチェ州だけでなく、当時のインドネシアにもありませんでした。
また、太平洋の国際的な津波監視体制のような仕組みもインド洋沿岸諸国にはなかったようです」(高橋先生)
「まず、地震が起きたときに、行政からの津波警報などの災害情報や避難指示といった、日本にあるような早期警報システムがなかったことです。
インドネシア・アチェ州を含むスマトラ島北部地域は、古くから東アジア・東南アジアの中継港であり、東⻄の⽂物が運ばれる交流ネットワークの要となってきました。
しかし、発災時、アチェ州は実質的に『アチェ紛争』という内戦状態にあり、地⽅政府の⾃治的な⼒が発揮されていない状態でした。バンダアチェ市には、正確な⼈⼝統計すらなかったのです」(⾼橋先⽣)
人々にも津波に対する予備知識や避難行動がありませんでした。
バンダアチェ市政府によると、全壊家屋が14000棟、半壊家屋3000棟、⼀部損壊家屋が4000棟になります。しかし、建物被害の状況は、海岸沿いの⾯的に破壊された地域から、距離によって減っていき、内陸ではほとんど無傷になります。地震発⽣後すぐに内陸の⾼い位置へ避難していれば⼈的被害が軽減されたと考えられます。
「地震後に海岸から海⽔の引いているのを⾒て、海岸にいた⼈々が海底に取り残された⿂を拾いに⾏ってしまったことに象徴されるように、現地の⼈々に津波への警戒はまったくありませんでした。
インドネシア語には“津波”に対応する表現もなく、津波を⾒た⼈々は『海が上がった』『⽔が上がった』と叫んでいたといいます。
それを聞いた⼈も、すぐに避難⾏動につながったわけではありません。ほとんどの人は、大きな地震の後に津波がくるかもしれないということを知らなかったようです。洪⽔程度だと考えて、家に戻る⼈もいたのです。
そうして、人々は津波が目の前に迫ってきてはじめて、走って逃げることしかできなかったのです。
津波の早期警報システムはアチェ州だけでなく、当時のインドネシアにもありませんでした。
また、太平洋の国際的な津波監視体制のような仕組みもインド洋沿岸諸国にはなかったようです」(高橋先生)
「津波警報」「津波注意報」が出たときに取るべき行動は?

ここで、あらためて津波に関する日本の早期警報システムを振り返ってみましょう。
日本では、地震が発生したときには地震の規模や位置から沿岸の津波を予想し、気象庁が「大津波警報」「津波警報」「津波注意報」を発表します。
地震などが発生して津波の危険を感じたら、すみやかに海辺から離れ、より高い安全な場所へ避難することが重要です。
ただし、津波は局所的に大きくなったり、川を遡上することもあります。「ここなら安心」と思わず、より高い場所を目指して避難する必要があります。
また、日頃から自宅や学校、職場など地域の危険な場所や避難場所を確認しておきましょう。避難訓練を行ったり、避難場所を家族など周りの人と確認しておくことも大切です。
日本では、地震が発生したときには地震の規模や位置から沿岸の津波を予想し、気象庁が「大津波警報」「津波警報」「津波注意報」を発表します。
地震などが発生して津波の危険を感じたら、すみやかに海辺から離れ、より高い安全な場所へ避難することが重要です。
ただし、津波は局所的に大きくなったり、川を遡上することもあります。「ここなら安心」と思わず、より高い場所を目指して避難する必要があります。
また、日頃から自宅や学校、職場など地域の危険な場所や避難場所を確認しておきましょう。避難訓練を行ったり、避難場所を家族など周りの人と確認しておくことも大切です。
スマトラ沖地震から学ぶこと

スマトラ沖地震は、20世紀以降の世界における最悪の被害を出した地震災害の1つとされています。
「スマトラ沖地震から私たちが学べるのは、自然現象としてのハザード(hazard)と社会的な被害を表す災害(disaster)の違いと言えます。同じ規模のハザードが発生しても、社会の状態によって被害は異なってくるのです。
実は、バンダアチェの地域には、津波のことを表すイブーナという言葉がありました。津波が迫るなか、おばあさんから聞いたイブーナの話を思い出し、逃げる場所を高いビルに変えて助かった人もいました。しかし紛争が長く続いたせいか、当時多くの人にイブーナの話は伝わっていませんでした。
現地ではインド洋津波監視・警報体制の整備が進められ、避難訓練の実施、そして津波体験の伝承が試みられています。まだ不十分ですが、津波の正しい知識、スマトラ沖地震の体験を次世代に正しく伝えようとしています。
世界では、ほぼ毎年のように大災害が発生しています。私たち日本人も、遠く離れた国で起こった災害としてではなく、社会の問題として捉え、取り組んでいく必要があるのではないでしょうか」(高橋先生)
スマトラ島沖大地震から20年の今、津波対策について、あらためて考えてみてはいかがでしょうか。
» お天気ニュースをアプリで読む
» これまでの津波予報、最新の津波予報に関しての解説動画はこちら
参考文献
『超巨大地震がやってきた スマトラ沖地震に学べ』(編著:木股文昭、田中重好、木村玲欧/時事通信社)、『スマトラ地震による津波災害と復興』(編著:高橋誠、田中重好、木股文昭/古今書院)、『大津波を生き抜く スマトラ地震津波の体験に学ぶ』(著:田中重好、高橋誠、イルファン・ジックリ/明石書店)
「スマトラ沖地震から私たちが学べるのは、自然現象としてのハザード(hazard)と社会的な被害を表す災害(disaster)の違いと言えます。同じ規模のハザードが発生しても、社会の状態によって被害は異なってくるのです。
実は、バンダアチェの地域には、津波のことを表すイブーナという言葉がありました。津波が迫るなか、おばあさんから聞いたイブーナの話を思い出し、逃げる場所を高いビルに変えて助かった人もいました。しかし紛争が長く続いたせいか、当時多くの人にイブーナの話は伝わっていませんでした。
現地ではインド洋津波監視・警報体制の整備が進められ、避難訓練の実施、そして津波体験の伝承が試みられています。まだ不十分ですが、津波の正しい知識、スマトラ沖地震の体験を次世代に正しく伝えようとしています。
世界では、ほぼ毎年のように大災害が発生しています。私たち日本人も、遠く離れた国で起こった災害としてではなく、社会の問題として捉え、取り組んでいく必要があるのではないでしょうか」(高橋先生)
スマトラ島沖大地震から20年の今、津波対策について、あらためて考えてみてはいかがでしょうか。
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参考文献
『超巨大地震がやってきた スマトラ沖地震に学べ』(編著:木股文昭、田中重好、木村玲欧/時事通信社)、『スマトラ地震による津波災害と復興』(編著:高橋誠、田中重好、木股文昭/古今書院)、『大津波を生き抜く スマトラ地震津波の体験に学ぶ』(著:田中重好、高橋誠、イルファン・ジックリ/明石書店)