- 東日本大震災津波体験談
ご自身の体験談1
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津波に遭われた当時の状況を教えていただきました。ほぼ原文のまま掲載しています。
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一度逃げた避難所の高さは6メールの高台。津波メール(ウェザーニュース)が届き、確認したら7メートルと書かれており危ないと思いもっと遠くへもっと高い場所と思い行動した。そのあと防波堤突破された。今いる場所(第一避難所)が津波にのまれると思い逃げた。のちに第一避難所はのまれた。津波が早かったから逃げられなかった。人に手を貸してのまれたり、家族を助けたくてのまれたり、子供が居てうまく走れなくてのまれた人たちが居た。もっと早く的確な指示が欲しかった。そしたらもっと助かった。電気もダメ、携帯も使えない中、情報がカーナビ、防災無線、ワンセグしか無かった。私はウェザーニュースの津波と地震アラームかけてたから、メールが届き、情報は見れた。メールがなかったら第一避難所で死んでたと思う。私と友達は走って逃げた。津波に右から追い抜かれた。そのあと左から覆い被さるように津波が来た。一気に200人ぐらいのまれた。私は300メートルぐらい流されたが山にぶつかり、木に捕まり、助かった。友達ははぐれてしまい、遺体で見つかった。(岩手県陸前高田市高田町 20代女性)
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いったん高台のホテルの駐車場に逃げたが、大きい余震のため建物や駐車場等崩壊する気がしたため、別の場所に移動した。避難開始が早かったから助かった。過去の教訓と親から言い伝えられた「津波てんでんこ」を守った。(岩手県宮古市港町 60代男性)
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父親がラジオを聞いていて津波が来ると強く大声で避難すると言って無理矢理、車に乗せられて逃げた。父親のおかげで助かった。近所の女性は、津波はこないと思ってたらしく、海を見に行ったり、外で何人かで話してたりしてたそうです。(福島県相馬市 30代女性/亡くなった方:福島県相馬市 60代女性)
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長く異常な揺れだったし、海沿い、川沿いなので、絶対津波が来ると判断した。ただあれほどの津波が来るとは思わなかった。息子(小6)の学校へ、母・甥・私の3人で貴重品・バスタオルなど持って避難した。平地の学校なので、決して安全とはいえない場所だったが、そこから車等で移動するのはもっと危険と思いそこにいた。(宮城県気仙沼市 40代女性)
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地震発生直後、裸足で飛び出した。靴と厚手の上着を取りに家に入り、すぐに避難した。大きな地震だったし津波が絶対来ると思って逃げた。先人の教え、常日頃から地震の後は津波がくると子供の頃から叩き込まれて育ってきているので、すぐ逃げる事ができた。(岩手県大船渡市 30代女性)
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