地域で異なる!? ひなあられの味
3月3日はひな祭り。ひな人形や桃の花を飾り、ちらし寿司や蛤(はまぐり)のお吸い物などを食して祝います。供えられるものの一つに「ひなあられ」がありますが、どんな味が思い浮かぶでしょうか。
ウェザーニュースで行った全国調査では日本の東と西で、味に違いがあるという結果が出ました。ひな祭りの「ひなあられ」は、地域によって文化が異なるのです。
ウェザーニュースで行った全国調査では日本の東と西で、味に違いがあるという結果が出ました。ひな祭りの「ひなあられ」は、地域によって文化が異なるのです。
「私も、日本各地の食文化について調べるようになるまでは、自身が幼い頃から食べている関西のひなあられが、日本中で食べられていると思っていました。
実は、『味が違う』というよりも、原材料と製法が異なるのです。
関東は米を爆(は)ぜて作ったポン菓子を砂糖で味付けしたもの。関西は餅を砕いて焼いた直径1cmほどの丸いあられで、塩味や醤油味のほか、砂糖がけ、チョコレートがけなどがあります」(北野さん)
なぜ、東西のひなあられに違いがあるのでしょうか。ひなあられの歴史からひもといてみましょう。
実は、『味が違う』というよりも、原材料と製法が異なるのです。
関東は米を爆(は)ぜて作ったポン菓子を砂糖で味付けしたもの。関西は餅を砕いて焼いた直径1cmほどの丸いあられで、塩味や醤油味のほか、砂糖がけ、チョコレートがけなどがあります」(北野さん)
なぜ、東西のひなあられに違いがあるのでしょうか。ひなあられの歴史からひもといてみましょう。
菱餅からあられに?
「私は、ひなあられはひな祭りに供えられていた菱餅(ひしもち)が原型だと考えています。
ひな祭りの原型は、古くは3月上旬に禊(みそぎ)をする習わしであり、紙や土製の人形(ひとがた)を川や海に流して穢(けが)れを祓(はら)うものだったといいます。やがて平安貴族の『ひいな遊び』と結びつき、江戸時代には庶民にも現代に近いひな祭りが広まったとされています。
菱餅のひし型は、古くから邪気を払う神聖な木とされていた桃の葉をかたどったものだといいます。菱形の餅は、『群書類従』(1819年)の足利時代の記録に記述があるなど、室町時代から祝いの席で用いられていました。
江戸時代初期にはひな祭りに菱餅を供えるようになっていたようで、『日本歳時記』(1688年)の挿絵にはひな祭りの食べものに添えられている様子が描かれています。この菱餅を持ち運びやすく、また長持ちするように作られたのが、ひなあられだというのです。
かつて日本各地では、ひな祭りの日には家族そろって重箱にご馳走をつめて、野山や磯辺に出かけて終日遊ぶ、『野遊び(山遊びとも)』『磯遊び』という習わしがありました。その際に、菱餅を持ち出しやすく『あられ』にしたといわれています。
ちなみに、ひな祭りのちらし寿司も、この習わしの重箱料理として作られたことから行事食となったとされ、蛤のお吸い物は、磯遊びで採った貝を神さまに供え、皆で食べて祝った名残りともいわれています」(北野さん)
ひな祭りの原型は、古くは3月上旬に禊(みそぎ)をする習わしであり、紙や土製の人形(ひとがた)を川や海に流して穢(けが)れを祓(はら)うものだったといいます。やがて平安貴族の『ひいな遊び』と結びつき、江戸時代には庶民にも現代に近いひな祭りが広まったとされています。
菱餅のひし型は、古くから邪気を払う神聖な木とされていた桃の葉をかたどったものだといいます。菱形の餅は、『群書類従』(1819年)の足利時代の記録に記述があるなど、室町時代から祝いの席で用いられていました。
江戸時代初期にはひな祭りに菱餅を供えるようになっていたようで、『日本歳時記』(1688年)の挿絵にはひな祭りの食べものに添えられている様子が描かれています。この菱餅を持ち運びやすく、また長持ちするように作られたのが、ひなあられだというのです。
かつて日本各地では、ひな祭りの日には家族そろって重箱にご馳走をつめて、野山や磯辺に出かけて終日遊ぶ、『野遊び(山遊びとも)』『磯遊び』という習わしがありました。その際に、菱餅を持ち出しやすく『あられ』にしたといわれています。
ちなみに、ひな祭りのちらし寿司も、この習わしの重箱料理として作られたことから行事食となったとされ、蛤のお吸い物は、磯遊びで採った貝を神さまに供え、皆で食べて祝った名残りともいわれています」(北野さん)
ひなあられの願い
ひなあられが菱餅に由来することは色にもあらわれているようです。
「菱餅は、江戸時代は上段と下段が緑、中段が白の2色の組み合わせでした。緑は母子草(ははこぐさ=御形:ごぎょう)やよもぎを使った草餅で、白餅と重ねたのです。
現在では、赤・白・緑の三色がほとんどです。赤は桃の花、白は雪、緑は草を表し、それぞれ『魔除け』『清浄』『邪気払い』の願いが込められています。ひなあられの色づかいは、ここから来ていると考えられます。
ほかに5色のひなあられは、陰陽五行の『青(緑とも)・赤・黄・白・黒(紫とも)』で、厄除けの意味が込められているといいます」(北野さん)
北野さんは、菱餅を砕いて炒ったのがひなあられの始まりと思われるので、ポン菓子タイプの関東のものよりも、餅を焼く関西のひなあられの方が古いのではないかと考えています。
「ただ関東のポン菓子タイプのひなあられにも、由来と考えられるものがあります。米を煎(い)った『おいり』は、昔から場を浄めるのに使われており、これがひなあられの原型という説もあるのです。
米そのものを撒(ま)き散らして悪霊を退治する『散米』=『打ち撒き』という呪い(まじない)もありました。貴重な米を撒くのは、五穀の中で最も大切な米には尊い穀霊(こくれい)が宿っていると考えられていたためで、平安時代には盛んに行われていたといいます。
ひな祭りに、女子の健やかな成長を願ってひな壇に供えるひなあられのいわれが、魔除けの散米が変化していったというのは頷けます」(北野さん)
何気なく楽しんでいたひなあられにも、人々が子の健康や幸せを願う意味が込められていたのですね。大切な行事食として受け継いでいきたいものです。
» 関連記事 ひな祭りにはなぜ「蛤のお吸い物」を食べる?
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「菱餅は、江戸時代は上段と下段が緑、中段が白の2色の組み合わせでした。緑は母子草(ははこぐさ=御形:ごぎょう)やよもぎを使った草餅で、白餅と重ねたのです。
現在では、赤・白・緑の三色がほとんどです。赤は桃の花、白は雪、緑は草を表し、それぞれ『魔除け』『清浄』『邪気払い』の願いが込められています。ひなあられの色づかいは、ここから来ていると考えられます。
ほかに5色のひなあられは、陰陽五行の『青(緑とも)・赤・黄・白・黒(紫とも)』で、厄除けの意味が込められているといいます」(北野さん)
北野さんは、菱餅を砕いて炒ったのがひなあられの始まりと思われるので、ポン菓子タイプの関東のものよりも、餅を焼く関西のひなあられの方が古いのではないかと考えています。
「ただ関東のポン菓子タイプのひなあられにも、由来と考えられるものがあります。米を煎(い)った『おいり』は、昔から場を浄めるのに使われており、これがひなあられの原型という説もあるのです。
米そのものを撒(ま)き散らして悪霊を退治する『散米』=『打ち撒き』という呪い(まじない)もありました。貴重な米を撒くのは、五穀の中で最も大切な米には尊い穀霊(こくれい)が宿っていると考えられていたためで、平安時代には盛んに行われていたといいます。
ひな祭りに、女子の健やかな成長を願ってひな壇に供えるひなあられのいわれが、魔除けの散米が変化していったというのは頷けます」(北野さん)
何気なく楽しんでいたひなあられにも、人々が子の健康や幸せを願う意味が込められていたのですね。大切な行事食として受け継いでいきたいものです。
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参考資料など
『祝いの食文化』/松下幸子著/東京美術、『たべもの起源事典』岡田哲編/東京堂出版、『ニッポンの縁起食』/柳原一成・柳原紀子著/NHK出版、『三省堂年中行事事典』/田中宣一・宮田登編/三省堂、『日本人のくらし「基本のき」』/廣瀬輝子著/メディアパル