気象アーカイブス(32)

12年前の特急脱線事故で明らかになった気象現象とは!?

特急列車は脱線し堆肥舎に激突した
特急列車は脱線し堆肥舎に激突した
写真:時事
2005年、暮れも押し詰まった12月25日のクリスマスの夜、秋田県内を走る羽越本線の特急列車が脱線転覆事故を起こした。1両40tを超える6両編成の列車が転覆した原因は何だったのか。

脱線事故で37人が死傷

クリスマスの夜の悲劇

JR東日本の羽越本線は、秋田-新潟間を走る幹線だ。2005年12月25日の夜、秋田発新潟行きの上り特急「いなほ14号」(6両編成)が途中停車駅の酒田(山形県)を出発したのは、定刻より約68分遅れの19時08分だった。
事故車両と同型の485系
事故車両と同型の485系
秋田駅発の時点で61分遅れ、さらに風の強い区間で減速したための遅れだった。
酒田駅を出て6分後、最上川(もがみがわ)にかかる「第二最上川橋梁(きょうりょう)」を通過直後の19時14分、「突然、右方向からすさまじい地吹雪が吹いてきて、白い風のようなものが運転室を包み込むようにぶつかってきた。アッと思った瞬間に列車は左へ傾いて横転した」(運転士の証言)
この脱線事故で6両編成のうち前方の3両が転覆し、養豚場の堆肥舎に激突して大破。5人が死亡し、32人が重軽傷を負った。クリスマスの夜の惨事となった。

近くの風速計は12m/sだった

事故原因は何だったのか。運転士の証言などから、走行中の列車をなぎ倒す猛烈な突風が疑われた。しかし、事故現場に最も近いJR東日本の風速計の記録では、18時15分から19時15分(事故は19時14分)までの1時間の最大瞬間風速は12m/sだった。
他の観測地点の最大瞬間風速も事故現場から約10km離れている新川海岸で19時07分に36.9m/sを記録したが、多くの観測地点では20〜25m/sだった。

風速は運行可能範囲だった?

当時のJR東日本の運転規則では、風速25m/s以上になると走行を時速25kmに落とし、風速30m/s以上では運転を見合わせることになっていた。
各地で風速を記録した風速計
各地で風速を記録した風速計
事故現場に近い風速計は25m/sに達していなかったから運行可能範囲だったことになる。

疑われた運転ミス

羽越本線脱線事故が起こった同じ年の4月、JR西日本では福知山線脱線事故が起こっていた。原因は、制限速度70km/hのカーブに116km/hで侵入して脱線するという初歩的ミスだった。107人が死亡、562人が重軽傷を負うという大惨事だった。
羽越本線の事故はその8ヵ月後だったため、テレビのワイドショーやマスコミの中には、運転ミスをにおわせたり、事故の原因は社内体制にあるという指摘が少なくなかった。