気象アーカイブス(31)

帰島から12年。三宅島は今

三宅島全景 ©一般社団法人三宅島観光協会
三宅島全景
©一般社団法人 三宅島観光協会
東京の竹芝桟橋から約180km離れた三宅島(伊豆諸島)で、噴火のため4年5ヵ月に及ぶ全島避難が行われたことを覚えていますか? 荒廃した島に住民が戻れたのは12年前。三宅島は今どうなっているのか、訪ねてみました。

4年5ヵ月に及ぶ全島避難

3日間で全住民が島外に避難

今から17年前の2000年9月2日、三宅島の全島民に避難指示が出された。この年の6月下旬から火山活動が活発になり、8月18日には噴煙が1万4000mの高度に達し、29日には低温火砕流も発生。火山噴火予知連が「今後も噴火や火砕流発生の可能性あり」とコメントしたのを受けてのことだった。
当時の島民は約3800人。この日から3日間で、防災関係者ら約400人を除く全員が島外に避難した。

数日で帰島できると思っていた

避難した島民は一時、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区)に入所し、その後、都営住宅や親戚の家などに移っていった。
三宅村観光産業課の浅沼誠二さん
三宅村観光産業課の浅沼誠二さん
「誰もが数日で帰島できると思い、着の身着のままで避難した人が少なくありませんでした」と語るのは、三宅村観光産業課の浅沼誠二さん(48歳)だ。村の職員は、避難した島民のケア、生活再建の手続きなどに追われたという。

火山活動が衰えず

三宅島は盛んに噴火を繰り返し、火山活動は衰える気配がなかった。避難生活が長引くと避難先での生活のため仕事を探す人が増えてきた。
「電車の乗り方も知らなかった人が、通勤に1時間もかけて働きに出るなど、島民は慣れない環境で苦労しました」(浅沼さん)

避難指示解除に帰島を迷う人も

2005年2月1日、避難指示が解除された。島を離れてから約4年5ヵ月が経過していた。火山活動は鈍化していたが、火山ガスの放出は続いていた。そのため呼吸器疾患などの事情により帰島ができない島民もいた。
火山ガスなどで立ち枯れた木も
火山ガスなどで立ち枯れた木も
待ちに待った避難指示解除だったが、島民の気持ちは複雑だったと浅沼さんは言う。「帰島を迷う島民は少なくありませんでした。避難先で生活基盤を築いていましたから、島に戻らない選択をした人もいました」

帰島したのは島民の3分の2

帰島したのは約2500人。噴火前の人口の3分の2に減っていた。小中学校や高校に通う子がいる家族は避難先に残るケースが多かった。
1983年の噴火で出現した「新鼻新山」 ©一般社団法人 三宅島観光協会
1983年の噴火で出現した「新鼻新山」
©一般社団法人 三宅島観光協会
年齢別に見ると、40歳以上は7〜8割が帰島したが、39歳以下では4〜5割にとどまった。若い世代は半数以上が島に戻らなかったのだ。