【連載】冒険気象スタイル(6)

【三浦豪太】天気予報とエベレストの大渋滞

文・写真:三浦豪太
エベレストのヒラリーステップ手前にて
エベレストのヒラリーステップ手前にて
父・三浦雄一郎氏とともに過酷な冒険を続ける三浦豪太氏(プロスキーヤー・登山家・博士〈医学〉)が大自然の気象世界を描く、貴重なノンフィクション。今回はエベレストを舞台に、20年前の大事故の教訓を語る。天気予報の進化が生んだ新たな危険とは!?

20年前の教訓

1990年代に入りエベレスト登山に公募隊ができた。これは商業登山とも呼ばれ、通常登山家が仲間と一緒に協力して山頂を目指すのに対して、公募隊の参加者は公募隊にお金を払い経験豊富なガイドとともにシェルパや酸素を利用して山頂を目指す。
当時、経験が少ない登山者でも募る公募隊が急増、1996年についに8名の登山者がエベレストにて亡くなるというエベレスト史上最悪の大量遭難事故が発生した。この事故は商業化された登山を見直す一つのターニングポイントともされている。
標高7000mから見下ろすクンブ氷河
標高7000mから見下ろすクンブ氷河
標高8400m、通称バルコニー
標高8400m、通称バルコニー
この事故から多くの教訓を学ぶことができる。ガイドとクライアントの技量と関係性、増加する登山者の渋滞等これまで登山とは無縁と思われていた社会構造がエベレストで浮き彫りとなった。僕はこうした教訓の一つに当時、遭難した登山者が信頼しきれなかった天気予報の甘さも含まれると思う。
前述の遭難事故ではアタック当日、エベレストに嵐がくる可能性があったが、その未明に空は晴れ渡り無風であったため、それを吉兆と見た彼らは嵐の発生予測を低く見積もり出発したのだ。当時は山岳地方の細かい予報は難しかったのかもしれない。
三浦豪太(プロスキーヤー・登山家・博士〈医学〉)
三浦豪太(プロスキーヤー・登山家・博士〈医学〉)

1969年、神奈川県鎌倉市生まれ。三浦雄一郎の次男としてキリマンジャロを最年少(11歳)登頂。91年よりフリースタイルスキー、モーグル競技へ転向し、94年リレハンメル五輪、98年長野冬季五輪代表。2001年米国ユタ大学スポーツ生理学部卒業後、ワールドカップ解説やプロスキーヤーとして活躍。父・雄一郎とともに3度にわたり世界最高峰エベレスト登山に同行。現在、(株)ミウラ・ドルフィンズ低酸素・高酸素室のトレーニングシステム開発研究所長。博士〈医学〉(順天堂大学大学院医学部加齢制御医学講座)。