人気!気象予報士 初耳インタビュー(11)

『スーパーJチャンネル』6人チームで取り組むこだわりの予報

気象予報士
今村涼子(いまむらりょうこ)さん
撮影/晴山順平
今村涼子(いまむらりょうこ)さん
テレビ朝日『スーパーJチャンネル』(月~木曜16:50~19:00、金曜15:50〜19:00)で活躍中の今村涼子さん。休日には山に登り、空手もたしなむなどアクティブな一面を持つ今村涼子さんの“こだわり”の予報に迫ります!

子どもの頃から「雨おんな」だった

──最初にお天気のことを意識したのは?
実は私、子どもの頃からここ一番の大事な時に限って雨が降ってしまう「雨おんな」だったんです。遠足はもちろん、楽しみにしていた運動会も雨が降って延期になり、それでもまた雨が降って……結局、中止になってしまったこともあったくらいです。
そんな時はいつも、雨雲をうらめしく見上げながら「ひょっとして、私はお天気と何か縁があるのだろうか?」と漠然と感じていました。
──気象に興味を持って勉強を始めたのは?
大学は理系に進みませんでした。在学中に気象予報士の資格制度がスタートし、気象台でアルバイトをしている知り合いから天気にまつわる楽しい話を聞く機会がありました。「なんだかおもしろそうだな」と興味は持っていました。ただ、その時はすでに卒業後の就職先も決まっていたので、すぐに行動を起こすことはありませんでした。
就職後、働きながら気象予報士の資格試験を受けてみたのですが、当然のことながらすぐに受かるはずもありません。もともといくつものことを同時にできるタイプでもないので、気象の勉強に専念するために、3年間勤めた会社を退社して受験に備えました。
──資格を取得されてからは?
1999年に資格取得後、ウェザーニューズに入社、大阪の読売テレビに通っていたところ、1ヵ月もたたないうちに本社から声がかかりました。創業者の石橋博良さんとの面接では、私の書いた作文について話をしたほかに、もう一つ印象に残っていることがあります。何を思ったのか、石橋さんは会話の途中で唐突に、「キミは、ウチの下の息子に似ているな」とおっしゃったんです。
──「息子さん」とは! そもそも性別が違います!(笑)
……ですよね(笑)。それでも話は進み、1年目はメディア系の部署に配属され、アナウンサーやキャスターが読む原稿を書く仕事をしていました。その後、通常なら自社チャンネルでキャスターとしての経験を積むのが、一般的にたどるコースと聞いていたのですが、偶然にもNHK仙台放送局に欠員が出たということで、急遽、私にお話が回ってきたのです。
当時の私はキャスターとしては何もキャリアのない、いわば「ど素人」のようなもの。それにもかかわらず、仙台放送局は「新人でも構わない。ウチが育てるから」と迎え入れてくださいました。
──仙台時代に印象に残っていることは?
新人だったこともあり、すべてが勉強の毎日でした。たとえば、地方局の番組は、今私が出演しているような番組に比べて、お天気コーナーの持ち時間が長い、という特徴があります。通常だったら2~3分のところ、仙台では5分以上も時間を割いてもらえます。持ち時間は短くてもそれなりの苦労がありますが、長ければ長いでなかなか大変なところがあるのです。
というのも、どんなに丁寧に気象情報をお伝えしても、長くて3分ぐらいで伝え終えられるからです。あとの2分間をどうやってつないでいけばいいのか、当時の私にはとても悩ましいことでした。
しかも、スタッフの数も今よりも少なかったので、一人のやるべき仕事の領域が広く、量も多かったんです。自分でカメラを回したり、CGを作ったりすることも日常茶飯事。原稿を書いている時間もないほど忙しい日々を過ごしました。