フロリダ半島の先端とプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形の海域は「バミューダトライアングル」といって、船や飛行機が忽然(こつぜん)と消えてしまうと言われてきた。はたしてその真相は?
海軍の5機編隊が消えた
バミューダトライアングルの日
12月5日は「バミューダトライアングルの日」だ。1945年のこの日、バミューダトライアングルと呼ばれる海域で米軍機が突然消息を絶ったことから、そう呼ばれている。
多くの船や飛行機がこの海域で消息を絶ったとされているが、その中でもこの米軍機の消失は最も有名な事件とされている。
雷撃機5機に14人が搭乗
米軍機の消失は次のように伝えられている。1945年12月5日14時10分、フロリダ州フォート・ローダーデールの海軍基地から5機のアベンジャー雷撃機が飛行訓練に飛び立った。雷撃機とは敵艦めがけて魚雷を発射する戦闘機だ。隊長のチャールズ・テイラー中尉以下総勢13人の搭乗員が乗っていた。
帰還予定時刻をやや過ぎた15時45分、テイラー中尉から無線が入った。「タワー(管制塔)に告ぐ! こちら司令機。緊急事態発生。われわれはコースを外れたらしい。陸地がまったく見えない」
「海が妙に白い」
現在位置を訊く管制官にテイラー中尉は答えた。「それがわからない。どこを飛んでいるのか、さっぱりわからない」
「とにかく西へ向かえ」と指示するタワーに、テイラー中尉は「どっちが西だかわからない。奇妙だ。何もかもおかしい。方向がつかめないし、海もいつもと違って妙に白い」
途絶えた無線通信
各機からもタワーに「いったい何が起こったんだ。雲の中に入ったのか。他の4機はどこへ行った」「計器がみな狂った」「現在16時25分。現在地は不明。迷ってしまったらしい。うわっ! 白い水に突入した!」と無線通信が入ってきた。
そして、またテイラー中尉の声が入った。「ここはどこだ。見ろ、われわれがいるところは……」。そのひと言を最後に通信は途絶えた。
救難機も行方不明に
18時30分、ハバナリバー海軍基地から13人を乗せたマリナー飛行艇が飛び立った。19時50分頃、飛行艇から無線通信が入った。「まだ発見できない。まわりのようすがおかしい。うわっ、何か白いものに包まれた!」。飛行艇もこれを最後に通信が途絶した。
その後5日間にわたって空母を含む多数の艦船や300機を超す飛行機による大がかりな捜索が行われ、捜索範囲は25万km2に及んだが、遺体はおろか破片ひとつ発見することができなかった。
多くの船や飛行機が消えた
アベンジャー編隊が消失する前も、その後もバミューダトライアングルでは遭難が相次いでいる。1918年、米海軍の輸送船サイクロプス号が西インド諸島のジョージタウンから出航してバミューダ海域で行方不明になった。排水量1万4000トン、海軍兵士202人を乗せた船が消息を絶ち、やはり遺体も漂流物も発見されなかった。
1947年、米空軍カーチスC46輸送機が32人の乗員を乗せたままバハマ上空で行方不明になった。後日、機体がジャマイカのブルー・マウンテン山脈で発見されたが、乗員32人の遺体はなかった。
バミューダトライアングルでは、これまで100を超える船や飛行機、1000人以上の人が消息不明となっているとされる。
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