気象アーカイブス(16)

「海の日」のルーツ 
日本の海を守った明治丸

撮影/佐坂和也
明治丸とキャスターの眞家さん
明治丸とキャスターの眞家さん
1996(平成8)年から国民の祝日になった「海の日」のいわれをご存知だろうか。その出来事をつくったのは142年前に建造され、今も大切に保存されている明治丸だ。ウェザーニュースキャスターの眞家泉(まいえ・いずみ)さんが明治丸を訪ねた。

小笠原諸島をめぐる秘話

現存する最も古い鉄船

東京湾に面した東京海洋大学の越中島(えっちゅうじま)キャンパスに一隻の船が陸上固定されている。1874(明治7)年に建造された明治丸だ。現存する鉄でできた船としては日本で最も古い。
当初の明治丸は2本マストだった
当初の明治丸は2本マストだった
海の気象に関心が高いウェザーニュースキャスターの眞家泉さんが、その明治丸を訪ねた。明治丸の数奇な運命を語ってくれたのは、高級船員を養成してきた航海訓練所(現・海技教育機構)で教官を長年務めてきた生粋の“海の男”の望月二朗さん(77歳)だ。
インタビューする眞家さん
インタビューする眞家さん

本業は灯台巡視船

眞家さんが望月さんに訊いた。
Q「142年前に明治丸が誕生したわけですが、その背景には何があったのですか?」
A「時の明治政府は諸外国との条約で洋式灯台をつくる必要に迫られ、その測量やメインテナンスを行う灯台巡視船として英国に発注したのです。1874(明治7)年にグラスゴー(スコットランド最大の都市)にあるネピア造船所でつくられました(英国の海軍造船所があった)。そして明治丸は翌年、日本にやってきました」
明治丸は建造当時、全長68.6m、全幅9.1m、出力1100馬力、速力11.5ノット。総トン数1027.57トン、当時、鉄製の最新鋭船だった。
明治丸と校舎
明治丸と校舎

小笠原諸島の領有に貢献

Q「明治丸は“日本を守った船”だと聞いたのですが、どういうことでしょうか?」
A「1875(明治8)年から灯台巡視船として活躍していた明治丸は、思わぬ大役を果たすことになります。実はその年、英国との間で小笠原諸島の領有権問題が生じたため、明治丸は日本政府調査団を乗せて横浜港を出港します。それを知った英国公使は、それに対抗して翌日、軍艦を小笠原に向かわせます」
「しかし、当時の最新鋭船だった明治丸の船足は速く、英国軍艦より2日早く父島に到着。そのおかげで日本は小笠原諸島領有の基礎を固めることができたのです」
もし新鋭船の明治丸がなかったら、英国軍艦に先を越され、小笠原諸島は英国領になっていたかもしれなかったのだ。小笠原諸島を日本が領有した結果、広大な排他的経済水域を得た。英国で造られた船が英国の軍艦に勝って領土を守ったというのはまさに歴史の綾といってよい(ちなみに小笠原諸島の排他的経済水域は日本全体の3分の1にあたる)。