気象アーカイブス(13)

江戸のお花見を錦絵でリアル体験!

千代田大奥 御花見
千代田大奥 御花見
日本人の心をウキウキさせてくれるお花見。そのイベントが庶民に定着したのは江戸時代だ。花見の名所は驚くほど華やかだったという。今から約300年前のお花見をリアルな錦絵でガイドします。

8代将軍がつくった!

なぜ桜の名所が必要だったのか

あなたは毎年、どこでお花見をしていますか。公園の桜? 川沿いの桜? それらはみんな人の手で植樹されたもの。桜がいっせいに咲き揃えば、大勢の人々が桜の下に集まることが期待されていた。
今の花見の慣習が定着したとされる江戸時代、江戸の各地に桜を植え、花見の名所をつくったのは8代将軍の徳川吉宗だった。なぜ吉宗は桜を植樹したのか。
浅草金竜山奥山花屋敷
浅草金竜山奥山花屋敷

花見客を分散させる

千葉大学名誉教授(環境植栽学)の藤井英二郎さんが語る。
「今の上野公園は江戸時代、徳川家の菩提寺(ぼだいじ=先祖代々の墓がある)であり、家康を祀(まつ)る東照宮(とうしょうぐう)がありました。上野公園は早くから花見の名所として賑わっていましたが、先祖が眠る地で騒がれてはたまらない。花見客を分散させるために各地に桜を植栽したのだと思います」
藤井英二郎さん
藤井英二郎さん
先例がある。5代将軍の徳川綱吉は、上野の忍岡(しのぶがおか)にあった聖堂(江戸幕府の公式学問の祖である孔子を祀る廟〈びょう〉)を花見客の喧騒(けんそう)から避けるために湯島に移している。吉宗は、台頭する町人・庶民の物見遊山の欲求を満たしながら、花見客の分散を図ったのだと藤井さんは推測する。

桜はヤマザクラだった!

「吉宗が享保年間(1716〜36年)に桜を植樹した花見の名所は、飛鳥山(あすかやま・北区)と隅田堤(すみだづつみ・墨田区)、それに御殿山(ごてんやま・品川区)です。当時、江戸の人口は50万人を超えて市街地も膨張していましたが、花見客の分散と同時に、農村振興も図ったのでしょう」(藤井さん)
植栽したのはヤマザクラだが、飛鳥山にはカエデも植えた。秋の紅葉狩りを楽しむためである。隅田堤は、奈良の吉野と茨城の桜川のヤマザクラを交互に植えたという。
今見られる桜の8割を占めるソメイヨシノは、当時まだ普及していなかった(諸説あるが、ソメイヨシノは江戸中期に染井村〈東京都豊島区〉の植木職人が人工交配・育成したという説が有力。普及したのは明治に入ってから)。