SORA気象アーカイブス Vol.9

発掘! 海軍気象部の暗号解読班

竣工当時の大倉精神文化研究所
竣工当時の大倉精神文化研究所
太平洋戦争末期の昭和19年、今も現存する横浜市の西洋建築を大日本帝国海軍気象部が借り上げ、100人を超える部員が移ってきた。そこで行われていたこととは?

59年ぶりの訪問者

坂の上の白亜の西洋建築

東京の渋谷から東急東横線に乗って横浜方面に30分ほど行くと大倉山駅に着く。改札口を出てすぐ右手に急な登り坂がある。その坂道を登ると大倉山公園があり、うっそうと繁った木々の間の小径を抜けると、目の前に白亜の西洋建築が現れる。「横浜市大倉山記念館」だ。
東急東横線の大倉山駅で下車
東急東横線の大倉山駅で下車
かなり急な坂道を登っていく
かなり急な坂道を登っていく
大倉山公園
大倉山公園
ギリシア神殿風の建物は高さ25.5m。実業家の大倉邦彦(1882〜1971年)が創設した大倉精神文化研究所の本館として1932(昭和7)年に竣工された。
研究所の目的は「東洋と西洋の精神文化の科学的研究と普及活動を行い、世界文化の進展に貢献する」ことだ。後に東洋大学の学長(1937〜1943年)を務めた大倉は教育者でもあった。「大倉山」という地名はこの研究所の名称にちなんでいる。
横浜市大倉山記念館は白亜の洋館
横浜市大倉山記念館は白亜の洋館
大倉邦彦
大倉邦彦