積乱雲から猛烈な勢いで吹き付ける下降気流が地上に衝突すると四方に広がる。飛行機を墜落させることもあるダウンバーストを発見したのは日本人だった。
1975年6月24日16時、ルイジアナ州ニューオーリンズ国際空港から飛んできたイースタン航空66便は雷雨のなかをニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港の22L滑走路に差しかかっていた。すると突然、大きく機体が持ち上げられ、直後に強い下降気流に機体が降下し、滑走路の手前約700mにあった誘導灯に激突し、左の翼が引き裂かれた。
左の翼を引き裂かれた機体は大きく旋回し、大破して炎上した。その結果、乗員乗客124名のうち115名が亡くなった。国家運輸安全委員会は、事故はパイロットの操縦ミスが原因と断定した。しかし、似たような事故は別の空港でも発生していた。イースタン航空は納得できず、シカゴ大学の藤田哲也博士に調査を依頼した。
藤田博士はそれまでの調査で、積乱雲から強い下降気流が吹き下ろすことがあることを発見しており、それが航空機事故の原因ではないかと考えたのだ。
藤田博士は事故直前に着陸した航空機の記録を取り寄せた。すると複数の航空機が機体を上下に揺らしながらも、なんとか着陸していた。藤田博士は航空機の上下動を時系列で図解して空港のどこで下降気流(ダウン)が発生し、地上でどのように爆発的な突風(バースト)が広がったかを証明し、この現象を「ダウンバースト」と命名した。
藤田博士は1920年に現在の北九州市小倉南区で生まれた。43年に明治専門学校(現在の九州工業大学)を卒業すると、同校に助手(後に助教授)として残った。45年の終戦直後、同校が派遣した長崎原子爆弾調査団に加わり、樹木の倒れ方などから原爆が猛烈な下降気流を発生させたことが突き止められ、爆発の高度を地上520mと推定した。その2週間後には広島でも調査に当たった。