OLから気象キャスターへ転職したという異色の経歴を持つ、テレビ大阪・気象キャスターの堀奈津子さん。関西地方の天気の特色や、自身も被災者となった阪神・淡路大震災の教訓から、防災に対する気象キャスターとしての役割について聞いた。
──堀さんが気象予報士になったきっかけを教えてください。
私の実家は農家で、学校給食や市場へ九条ネギを出荷しています。ところが、台風や大雨によって、せっかくつくったネギがすべて廃棄となってしまうこともあり、天候に大きく影響される家業を、子どもの頃から見てきました。自然との関わりの深いなかで育ったこともあり、昔から天気に興味を持っていましたね。
大学卒業後、某メーカーでOLをしていました。総務部で受付や事務をしていたので、定時で帰れるということもあり、何か新しいことに挑戦したいという思いから、かねてから興味のあった気象予報士の資格取得を目指しました。
──OLを経てというのは、めずらしい経歴ですね。気象予報士の資格取得後、お仕事はどうされたのでしょうか。
2011年に合格して、1年後にケーブルテレビのオーディションを受け、週1回の出演が決まりました。最初の頃は、会社の許可を得て勤めながら出演させてもらっていました。出演が週3回に増えてきた頃、会社を辞め、いよいよ気象キャスターの仕事に絞ることになったのです。
8ヵ月ほど担当していた番組が終了したことをきっかけに、テレビ大阪のオーディションを受け、今に至ります。今年で3年目になりました。