SORA気象アーカイブス Vol.3

日本初の天気予報は当たったのか?

明治初期の気象台(提供:気象庁)
明治初期の気象台(提供:気象庁)

私たちの生活に欠かせない天気予報。日本で初めて天気予報が出されたのは今から131年前の6月1日だった。はたして、その天気予報は当たったのか?

天気予報第1号は誰が出したのか?

「全国一般風ノ向キハ定マリナシ。天気ハ変ワリ易シ。但シ雨天勝チ」

これは1884(明治17)年6月1日午前6時に発表された日本で最初の天気予報だった。誰がこの天気予報を発表したのだろうか。そしてこの天気予報は当たったのだろうか。それを検証する前に、日本初の天気予報を出すに至るまでの道のりをざっとたどってみよう。

測量から始まった気象観測

日本の気象観測と天気予報の草創期には、ご多分にもれずお雇い外国人が欠かせなかった。まず登場するのはイギリス人のジョイネルだ。彼は1870(明治3)年に京浜間の鉄道を建設するために来日し、その翌年に工部省測量司に移った。このジョイネルが気象観測の必要性を建議し、1873(明治6)年、工部省測量司は気象台を設けることを決めて、ロンドン気象台長に気象観測機器のあっ旋を依頼した。

実際に動いたのはシャーボーというフランスから帰化したイギリス人で、彼は15ヵ月かけてイギリスで観測機器を購入し、1874(明治7)年、それらの機器とともに来日した。シャーボーはイタリア製の地震計も持参した。「日本は地震が多いと聞いたが、地震で測点が移動することがある。日本で測量するには、地震観測が必要だ」というのが理由だった。当時、気象観測も地震観測も測量の延長だったのだ。

当時用いられていた気圧計
当時用いられていた気圧計

6月1日が気象記念日になったワケ