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端午の節句の行事食「ちまき」、中身は東西で違う!?

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2024/05/04 05:19 ウェザーニュース

5月5日は古くから男の子の健康と幸福を祈る端午の節句とされ、これにちなんで1948年に「子どもの日」として国民の祝日に定められました。

端午の節句の行事食は現在、全国的に「柏餅」が主流ですが、西日本では童謡「背くらべ」(海野厚作詞・中山晋平作曲)にうたわれているように、ちまきを食べる風習も広く行われています。

「ちまき」のイメージは東西で違う?

ウェザーニュースがアプリのユーザーに「端午の節句に食べるものは?」とのアンケートを実施したところ、柏餅を含む回答をした人は全国の9割超だった一方、ちまきを含む回答をした人の割合は東日本で低く、特に関東地方では12%にとどまりました。

そもそも、ちまきを「食べたことがない」「売っていない」などの回答のほか、「実物を見たことがない」というコメントも多く寄せられました。

さらに、ちまきは地域によって材料や作り方が異なるようです。ウェザーニュース で「ちまきといえば?」というアンケート調査を実施したところ、地域によって明瞭な差が現れました。

西日本の人たちは細長い形をした白くて甘い菓子のちまきをイメージし、東日本ではおこわ入りの中華風ちまきをイメージする人が多いようです。

また、九州南部の鹿児島や宮崎では「その他」と回答する人が多いという結果になりました。具体的には「灰汁巻き(あくまき)」と呼ばれる種類のちまきを指しているようです。
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端午の節句にちまきを食べる風習の理由や由来、さらにアンケートの結果を踏まえて「東西でちまきが異なる食べ物であるワケ」などについて、歳時記×食文化研究所代表の北野智子さんに解説して頂きました。

なぜ、端午の節句にちまきを食べるのか?

端午の節句にちまきを食べる風習は、どうして始まったのでしょうか。

「端午の節句にちまきを食べたり贈ったりするのは、中国の古代王朝・楚(そ/紀元前11世紀~紀元前223年)の王族で詩人だった屈原(くつげん)の故事によるものです。ちまきも中国伝来の食べ物で、日本に伝わったのは奈良時代とみられています。

5月5日は屈原が、国を憂いて長江の支流・汨羅江(べきらこう)に入水自殺をした日にあたります。これを憐れんだ人々が命日である5月5日、竹筒に米を入れて川に投じていました。のちに餅を真菰(まこも)の葉などで包んだちまきを作って川に投じ、屈原を弔うようになったといわれています。

屈原にかかわる伝説は、米を竹筒の中に入れて水中の蛟龍(こうりゅう/中国古代の想像上の動物。水中に棲(す)み、雲や雨に乗じて天に昇り龍になるといわれる)に盗み食われないように栴檀(せんだん)の葉で包み、色糸でくくったものを川に投げ入れたなど、いくつも残されています」(北野さん)

ちまきの名前の由来はどのようなものなのでしょうか。

「ちまきの名前は昔、茅(ち・ちがや)の葉で巻いた食べ物を『茅巻』と呼んだことが由来とされています。

茅は夏越の祓(なごしのはらえ/1年の折り返しとなる6月30日に行われる残り半年の無病息災を祈る神事)の祓の茅の輪にも使われるように、邪気や疫病を祓う神聖な葉とされていました。その茅で包んだちまきにも邪気祓いの意味があるとされ、親戚や知人に配られたといいます。

ちまきは京都の物が有名で、なかでも有名なのは室町時代創業の老舗『御粽司 川端道喜(おんちまきし かわばたどうき)』が創作し、御所に献上したという『内裏粽(だいりちまき)』でした。道喜粽は現在でも京都を代表する銘菓です」(北野さん)

ちまきのイメージが東西で異なる理由は?

アンケートでは西日本のちまきは「白くて甘い物」という回答が多く寄せられました。

「私(北野さん)も大阪人の父と京都人の母を持ち、大阪で生まれ育ちましたので『端午の節句のちまき』といえば、もち米や粳米(うるちまい)の粉を練ったものや葛(くず)生地などを笹の葉で包み、藺草(いぐさ)で縛って蒸した和菓子のことです。

むしろ、和菓子の「ちまき」が東日本では知られていないことは驚きでした。

白くて甘い菓子をちまきとするのは、中国の端午の節句の風習が伝来した地が朝廷のあった京都で、貴族の間で広まったのちに庶民へと伝わっていったからではないかと考えられます。

また、室町時代から川端道喜が粽を創作して御所に納めてきたことや、茶の湯が盛んだった京都には茶菓子を創作する菓子舗が多く、豪商や富裕な町人をはじめ、庶民にも広く伝わっていったのでしょう。そのため京都や大坂(大阪)を中心に、ちまきが菓子として広まったのではないでしょうか」(北野さん)

一方、東日本では菓子でなく、もち米に具材を混ぜて蒸したおこわのちまきが主流のようです。

「関西では、豚肉やタケノコ、シイタケ、干しエビ、ナツメをもち米と混ぜて、笹や竹の皮で包んで蒸したものは『中華ちまき』と呼び、和菓子のちまきとは区別しています。

中華ちまきは、中国では粽子(ヅオンズ)といい、豚肉や鶏肉・砂糖・卵・干しエビ・干し貝・シイタケ・ナツメ・アズキ・ハスの実をもち米と混ぜて、笹・ハス・アシの葉に包み、蒸したり茹でたりして作り、形は三角・四角・長方形などがあります。

東日本で端午の節句に行事菓子として食べていたのは、もっぱら江戸時代に江戸で創作された柏餅でした。

和菓子のちまきが節句菓子として伝わらなかったため、ちまきといえば、中華ちまきをイメージされるのではないでしょうか」(北野さん)

他にも見られるちまきの地域性

その他の地域のちまきに、特徴的なものはありますか。

「地域色豊かなものとして、宮崎県や鹿児島県の『灰汁巻き』が挙げられます。

『日本の味 探求事典』(岡田哲編/東京堂出版)によると、『調理形態が中国の<ちまき>に似ていて、もともとは、農家の保存食として伝えられる。端午の節句に作られる』とあります。

作り方は、『灰汁につけたモチ米を孟宗竹の皮に包み、灰汁のなかで炊き上げると、黄色い餅状になり、特有の香味が出てくる。醤油・黒砂糖・黄な粉をかける。兵食・携帯食としても利用されたらしい』とあります」(北野さん)

その他にも、月桃やクバ(蒲葵)の葉で包んで蒸した沖縄県の鬼餅、もち米を笹の葉で三角形に巻いて蒸し上げた秋田県の笹巻きなど、様々な味と形の物が存在するようです。

機会があれば端午の節句にいつもと違ったものを味わい、子どもたちの健康と幸せを祈ってみてはいかがでしょうか。
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参考資料
『たべもの起源事典』(岡田哲編/東京堂出版)、『世界 たべもの起源事典』(岡田哲編/東京堂出版)、『日本の味 探求事典』(岡田哲編/東京堂出版)、『祝いの食文化』(松下幸子著/東京美術)、『民俗学辞典』(柳田國男監修/東京堂出版)、『図説 江戸料理事典』(松下幸子著/柏書房)、『「まつり」の食文化』(神崎宣武著/角川選書)、『事典 和菓子の世界 増補改訂版』(中山圭子著/岩波書店)、農林水産省「うちの郷土料理」