二つの意味がある「梅雨晴」
「梅雨晴」には二つの意味があります。一つは「梅雨が明けたあとに晴れること」。もう一つは「梅雨の期間中に、一時的に晴れること」です。
本来、梅雨晴は「梅雨が明けたあとに晴れること」の意味で使われていました。
しかし、次第に「梅雨の期間中に、一時的に晴れること」という意味でも使われるようになりました。
幕末の1867年に生まれ、俳句革新運動を導いた正岡子規に次の一句があります。
〜梅雨晴やところどころに蟻(あり)の道〜
正岡子規はこの「梅雨晴」を「梅雨の期間中に、一時的に晴れること」の意味で使っています。
「うっとうしい梅雨の時季だけれど、今は雨がやんで、晴れている。外に出てみると、ぬれた地面の上に蟻の行列がにできているよ」
こうした心情を正岡子規は五七五に詠んだのでしょう。
本来、梅雨晴は「梅雨が明けたあとに晴れること」の意味で使われていました。
しかし、次第に「梅雨の期間中に、一時的に晴れること」という意味でも使われるようになりました。
幕末の1867年に生まれ、俳句革新運動を導いた正岡子規に次の一句があります。
〜梅雨晴やところどころに蟻(あり)の道〜
正岡子規はこの「梅雨晴」を「梅雨の期間中に、一時的に晴れること」の意味で使っています。
「うっとうしい梅雨の時季だけれど、今は雨がやんで、晴れている。外に出てみると、ぬれた地面の上に蟻の行列がにできているよ」
こうした心情を正岡子規は五七五に詠んだのでしょう。
7月1日に多い「山開き」と「海開き」
7月1日などに「山開き」が行われる山が全国各地にあります。
この場合の「山開き」は、霊山などの登山を解禁することです。登山口で山の神様に開山を伝えたり、登山事故が起きないように祈願する神事が執り行われたりします。
神仏を祀(まつ)る山に入れるのは、かつては修験者(しゅげんじゃ)などの一部の人だけでした。
それが江戸時代になると、夏の一定期間、庶民の入山も許されるようになりました。
入山が許される日の儀式などを「山開き」と呼ぶようになり、今に受け継がれています。
一方、山開きに倣(なら)い、海水浴の解禁日を「海開き」というようになりました。各地の海水浴場が、7月1日などを海開きの日としています。
この場合の「山開き」は、霊山などの登山を解禁することです。登山口で山の神様に開山を伝えたり、登山事故が起きないように祈願する神事が執り行われたりします。
神仏を祀(まつ)る山に入れるのは、かつては修験者(しゅげんじゃ)などの一部の人だけでした。
それが江戸時代になると、夏の一定期間、庶民の入山も許されるようになりました。
入山が許される日の儀式などを「山開き」と呼ぶようになり、今に受け継がれています。
一方、山開きに倣(なら)い、海水浴の解禁日を「海開き」というようになりました。各地の海水浴場が、7月1日などを海開きの日としています。
「半夏生(はんげしょう)」のころには大雨が降る?
半夏生の「半夏」とは「烏柄杓(からすびしゃく)」というサトイモ科の多年草のことで、「半夏生」は半夏、つまり烏柄杓が生えるころの意です。
七十二候(しちじゅうにこう)では、7月2日ごろ(2023年は7月2日)から5日間が「半夏生」となり、この場合は「はんげしょうず」と読みます。
七十二候とは、旧暦の1年を72に分けた約5日を一候としたものです。二十四節気の各節気をそれぞれ3つに分けたものともいえます。
また、半夏生は「節分」「彼岸」「八十八夜」などと同じように、「雑節(ざっせつ)」の一つでもあります。「雑節」は、二十四節気を補足するために、日本独自で設けられた季節の目安です。
半夏生の時季に降る雨は「半夏雨(はんげあめ)」と呼ばれ、大雨になることが多いといわれます。
さて、今年の半夏生は大雨か小雨か、はたまた、梅雨晴でしょうか?
七十二候(しちじゅうにこう)では、7月2日ごろ(2023年は7月2日)から5日間が「半夏生」となり、この場合は「はんげしょうず」と読みます。
七十二候とは、旧暦の1年を72に分けた約5日を一候としたものです。二十四節気の各節気をそれぞれ3つに分けたものともいえます。
また、半夏生は「節分」「彼岸」「八十八夜」などと同じように、「雑節(ざっせつ)」の一つでもあります。「雑節」は、二十四節気を補足するために、日本独自で設けられた季節の目安です。
半夏生の時季に降る雨は「半夏雨(はんげあめ)」と呼ばれ、大雨になることが多いといわれます。
さて、今年の半夏生は大雨か小雨か、はたまた、梅雨晴でしょうか?
「心太」が恋しくなる時季?
ツルリと喉ごしのよい心太を食べたくなる時季を迎えました。
「心太」は「ところてん」と読みます。
どうして「心太」を「ところてん」と読むのか、不思議に思う人もいるでしょう。
一説によると、「こころふと」や「こころぶと」が「こころてい」に転じて、さらに「ところてん」に変わったのではないかといわれます。
心太は、海藻の一種であるテングサを煮て溶かし、型に流して、冷やして固めた食品です。
これを、「心太突き」で突き出し、麺類のようにして食べます。
〜心太煙のごとく沈みをり〜
これは、1901(明治34)年生まれの俳人、日野草城(ひのそうじょう)の一句です。
心太突きから出てくる心太を、「煙のごとく」と詠んでいます。ユニークで豊かな詠み手の感性がうかがえます。
〜冬至夏至けふは夏至なる月日かな〜
1899(明治32)年生まれの俳人、及川貞(おいかわてい)は、上の一句を詠んでいます。
冬至は1年で日が最も短く、夏至は1年で日が最も長い。その繰り返しで月日、年月は過ぎていき、人は齢(よわい)を重ねていく……。そうした思いを詠んだのでしょう。
夏至は1年の半分が過ぎるころでもあります。改めて気を引き締めたくなる時季でもありますね。
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「心太」は「ところてん」と読みます。
どうして「心太」を「ところてん」と読むのか、不思議に思う人もいるでしょう。
一説によると、「こころふと」や「こころぶと」が「こころてい」に転じて、さらに「ところてん」に変わったのではないかといわれます。
心太は、海藻の一種であるテングサを煮て溶かし、型に流して、冷やして固めた食品です。
これを、「心太突き」で突き出し、麺類のようにして食べます。
〜心太煙のごとく沈みをり〜
これは、1901(明治34)年生まれの俳人、日野草城(ひのそうじょう)の一句です。
心太突きから出てくる心太を、「煙のごとく」と詠んでいます。ユニークで豊かな詠み手の感性がうかがえます。
〜冬至夏至けふは夏至なる月日かな〜
1899(明治32)年生まれの俳人、及川貞(おいかわてい)は、上の一句を詠んでいます。
冬至は1年で日が最も短く、夏至は1年で日が最も長い。その繰り返しで月日、年月は過ぎていき、人は齢(よわい)を重ねていく……。そうした思いを詠んだのでしょう。
夏至は1年の半分が過ぎるころでもあります。改めて気を引き締めたくなる時季でもありますね。
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参考資料など
監修/山下景子:作家。『二十四節気と七十二候の季節手帖』(成美堂出版)や『日本美人の七十二候』(PHP研究所)など、和暦などから日本語や言葉の美しさをテーマとした著書が多数ある。