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「日本植物学の父」牧野富太郎の誕生日。「人間は植物に感謝して生きなさい」

2023/04/24 13:20 ウェザーニュース

4月24日は「植物学の日」でもあります。「日本植物学の父」「植物の神様」などと呼ばれる牧野富太郎(まきのとみたろう/1862~1957)の生まれた日であるため、制定されました。

現在、放映されているNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)『らんまん』の主人公、槙野万太郎のモデルは牧野富太郎です。

牧野富太郎はどのような思いで植物に向き合っていたのか、幕末の文久2年に生まれ、昭和32年まで生きた牧野富太郎はどんな人物だったのか、植物学の日(牧野富太郎生誕の日)に、その一端を探ってみましょう。

「雑草という植物などない」

日本に自生する植物は約7000種といわれます。牧野はそのうち1500種以上に学名を付けました。そして今も、日本の植物の約300種は、牧野が付けた学名が使われています。たとえば、ケヤキ、キンモクセイ、クチナシなどの学名は牧野が付けました。

「植物の精」「植物の愛人」を自称していた牧野は、植物をとことん愛した人物でした。

「雑草という植物などない。名がないなら、付ければよい。一つ一つの草花にはそれぞれに違いがあって、それぞれに精一杯生きているんだ」

牧野はそうした言葉も残していると伝わります。

尋常ならざるツバキ愛?

牧野がとりわけ愛した植物の一つにツバキがありました。「ツバキはわが日本の名花で、あのとおりの美花を開き葉をあわせて大いに鑑賞せらるべき資格を備えたもの」と激賞しています。

日本中のあらゆるツバキを集めて、ツバキ園を造ることまで提案しています。さらに、ひと山すべてをツバキで埋め尽くすツバキ園まで考えたようですから、牧野のツバキ愛はいささか度を超していたかもしれません。

そのツバキは、漢字では「椿」と書きます。しかしこれは、漢名ではなく和字(国字)なのですが、そのことも牧野は指摘しています。

「椿」は「峠」「榊」「働」などと同じく、もともとは中国の漢字ではなく、日本で作られた漢字、すなわち和字で、ツバキは春に盛んに花を咲かせるため、木偏に春と書いて「ツバキ」と読ませるようになったということです。

カキツバタは「杜若」でも「燕子花」でもない!?

初夏に見頃を迎えるカキツバタ
牧野は1500種以上の植物に名前を付けただけに、植物の名称、特に漢字の使い方には厳しい目を向けています。

たとえば、初夏に花を咲かせるカキツバタ。『万葉集』にも詠まれた歌があるように、カキツバタは日本では古くから親しまれてきた植物です。

このカキツバタは漢字で「杜若」や「燕子花」と書き、これは多くの辞書にも載っています。しかし牧野は、これはおかしい、間違いである、と断じています。

中国に「杜若(トジャク)」という草があって、日本の学者がこれをカキツバタであると信じたことから、カキツバタ=杜若という「間違い」が始まってしまったと嘆いています。

江戸時代前期の俳人で、俳聖ともいわれる松尾芭蕉に「杜若われに発句のおもひあり」の一句がありますが、牧野にかかると、これも「おかしい」ということになりそうです。

同様に「カキツバタは断じて燕子花ではない」とも言い切っていて、カキツバタを燕子花であると思っている学者たちの「お顔を拝見すると思わずハハハハハハと笑いたくなる」とまで書いています。

生涯、信じるわが道を突き進んでいった牧野富太郎。物言いも、歯に衣着せぬところがあったようです。

「植物の名前はすべてカタカナで書くのが望ましい」

カキツバタだけでなく、ケヤキを「欅」、アジサイを「紫陽花」、フキを「蕗」、ショウブを「菖蒲」、スギを「杉」などと書くことも「誤用である」と断じていて、古典学者などを除けば、植物の名前はすべてカタカナで書くのが望ましいと主張しています。

この考えは1887(明治20)年以来変わらないと、1943(昭和18)年に書いているから、少なくとも56年間は一貫していたようです。

しかし、2023年の現在も、これらの漢字は辞書に載っています。この現状を牧野は草葉の陰で嘆いているかもしれません。

愛妻への思いから付けられた植物の名

牧野は1890(明治23)年、満年齢で26歳のとき、10代半ばの壽衛子(すえこ)と結婚し、その後、13人の子供を授かっています(壽衛子の前にも、妻と呼べる女性がいたと伝わります)。

牧野は土佐の富裕な商家に生まれた「いいところの若(わか)」で、壽衛子は彦根藩の士族の娘という高い身分で裕福な家の出です。

当初は牧野の実家から援助があり、牧野自身も東京大学に職を得たのですが、一家の生活費に加え、牧野の研究費、植物採集の旅費など、莫大な金銭を必要としたため、食費にも事欠くほどの貧乏暮らしが続きました。その困窮生活を支えたのは壽衛子でした。

牧野は次のような言葉も残しています。

「私が終生植物の研究に身を委ねることが出来たのは何といっても、亡妻壽衛子のお蔭が多分にある」
「よくもあんな貧乏生活の中で専ら植物にのみ熱中して研究が出来たものだと、われながら不思議になることがある。それほど妻は私に尽くしてくれた」

壽衛子は50代半ばで亡くなりました。同時期に仙台で発見したササに、牧野は「スエコザサ」(和名。学名は「ササエラ・スエコアナ・マキノ」~正式にはラテン語で表記)と名づけました。

「人間は植物がないと生活できない」

牧野は「(人間は)植物に感謝せよ」と熱く語り、次のような言葉を残しています。

「植物は人間がいなくても少しも構わずに生活できるが、人間は植物がないと生活できない。ならば、人間と植物とを比べると、人間のほうが弱虫といえよう。
人間は植物にオジギをしないといけない。衣食住は人間にとって、必要欠くべからざるものである。人間のその要求を満足させてくれるものが植物である。
人間は植物を神様だと尊崇し、礼拝し、感謝の真心を捧ぐべきなのだ」

牧野富太郎生誕の日に、噛み締めたい言葉です。


牧野は満90歳ごろまで植物採集に出かけ、93歳まで徹夜もしたというから、驚かされます。

行年は94。存分に生ききり、大きな足跡を残した人生だったといえるでしょう。

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参考資料など

『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』(著者/牧野富太郎、発行所/平凡社)、『草木とともに 牧野富太郎自伝』(著者/牧野富太郎、発行所/KADOKAWA)、『牧野富太郎 雑草という草はない 日本植物学の父』(著者/青山誠、発行所/KADOKAWA)、『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』(編者/コロナ・ブックス編集部、発行所/平凡社)、『MAKINO』編者/高知新聞社、発行所/北隆館)、『牧野富太郎 植物の神様といわれた男』(著者/横山充男、イラストレーター/ウチダヒロコ、発行所/くもん出版)、『牧野富太郎 日本植物学の父』(文/清水洋美、絵/里見和彦、発行所/汐文社)、『もっと知りたい牧野富太郎』(著者/池田博・田中純子、発行所/東京美術)、『牧野富太郎ものがたり 草木とみた夢』(文/谷本雄治、絵/大野八生、解説/田中伸幸、発行所/出版ワークス)、『日本の365日を愛おしむ』(著者/本間美加子、発行所/飛鳥新社)、『俳句の花図鑑』(監修/復本一郎、発行所/成美堂出版)、『四季の花の名前と育て方』(監修者/川原田邦彦、発行所/日東書院本社)