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なぜ「東は角餅」「西は丸餅」なのか? お雑煮の秘密

2023/01/01 08:11 ウェザーニュース

正月のお雑煮は地域性が強く、日本全国ふるさとの数だけお雑煮があるといいます。なかでも興味深いのが餅について。全国アンケートと歴史からお雑煮の秘密を解き明かしていきましょう。

お雑煮の歴史と由来

3年ぶりの行動制限のない正月に、家族や親戚、大切な人と久々の時間を過ごす人も多いでしょう。新年のお祝いに欠かせないのがお雑煮です。

「正月のお雑煮は、日本人にとって神聖な食物である餅をいただくもの。もともとは元旦の主役はお雑煮で、『おせち』は脇役でした」と、歳時記×食文化研究所代表の北野智子さんは説明します。

「『雑煮』という名前は、『様々なものを雑多に煮た料理』から来ています。雑煮が生まれたのは室町時代頃といわれ、当初は武家の宴会料理の酒肴だったとか。

正月料理としての雑煮は、大晦日に神前に供えたお神酒や餅、米、野菜、魚などを、元旦になると下げて、一つの鍋で煮込んだことが始まりとされています。お雑煮で正月を祝う風習も室町時代に始まったとされ、江戸時代になると庶民の間にも広まりました。

江戸時代後期の風俗を記した『守貞漫稿(もりさだまんこう)』には、正月三が日には全国的に餅を食べることや、大阪が丸餅で、江戸では切餅を焼くことなどが描かれ、現代に続く雑煮文化が定着していたことがうかがえます」(北野さん)

なぜ「東は角餅」「西は丸餅」なのか?

お雑煮のメインである餅について、ウェザーニュースでは形と調理法についてアンケートを行いました。全国10,633人から寄せられた回答を集計したところ、山形県、高知県、鹿児島県、沖縄県を除き、大まかに東から「角餅×焼く」「角餅×煮る」「丸餅×煮る」という結果になりました。

「一般的に、東日本では角餅、西日本では丸餅という傾向があります。実はこうした食文化の違いは、地質学上日本列島を東西に分断する大地層帯・糸魚川静岡構造線(いといがわしずおかこうぞうせん)を境界とするケースが多く見られます」(北野さん)

なぜ、こんなにはっきりと分かれるのでしょうか?

「そもそも餅の形は、丸餅が正統とされています。例えば正月の鏡餅は、正月に迎える歳神さまの『依りしろ(依りつくもの)』とされますが、丸い形です。これは、古くからの祭祀用具である鏡や神さまの御魂(みたま)をかたどったものであるからといいます。

また、ハレの日に食べるものには、食材に対する感謝の心や願いを込めることが多いものです。丸い形には、『円満に暮らせますように』という縁起が込められているのです。一つ一つ願いを込めて手で丸め、丸餅を作ったのではないでしょうか。

こういったことから、西日本だけではなく日本全土で丸餅が食べられていたといいます」(北野さん)

武士と江戸っ子好みの角餅?

なぜ東日本では、角餅になったのでしょうか。

「一つには、関東で武士文化が盛んだった影響があるようです。朝廷があり、もともと貴族文化が栄えた関西に比べて、関東には勇壮な気風が生まれました。角餅は、ついた餅を平たく伸ばした『のし餅』を切って作ります。これが『敵をのす(討ちのめす)』に通じ、縁起がよいとされたというのです」(北野さん)

さらに、江戸っ子気質も影響したといいます。

「江戸の町では暮れの15日を過ぎると餅をつき始めました。大きな商家は自分でつくことができますが、庶民はほとんど杵と臼を持っておりません。そこで、餅を搗く専門の『賃餅屋』が町を回って餅をついたのです。これを『賃餅』といいます。

賃餅屋は丸餅を作っていては手間と時間がかかるので、のし餅を作り、それを四角に切ったのが切餅(角餅)の始まりです。人口が急増していた江戸の町では、合理的に物事を考えていたのでしょう。せっかちな江戸っ子気質も表れていて、ちょっと面白いですね」(北野さん)

このように江戸に“合理的”な角餅が生まれ、やがて東日本で主流となっていきました。しかし、西日本に角餅は広まらなかったのです。

「一説には、東日本に比べ西日本は気候が温暖で、カビが生えやすいからではないかといわれています。角餅では切り口からすぐにカビが生えてしまいます。丸めて作る丸餅には切り口がなく、角餅よりカビが生えにくかったことがあるというのです。

一方、東日本の寒冷な地方では、丸餅はひび割れたり、そげたりして、保管が難しいといわれています。これは餅の中の水分や空洞のせいで、手で丸めたのではそれらを十分に押し出すことができないからです。ゆえに麺棒で力をかけて伸してそれらを押し出したところで切り餅にするといいます。

糸魚川静岡構造線は、日本海側の富山県から太平洋側の静岡県にかけての大きな帯です。今回のアンケート結果では少しずれもあるようですが、地質や生態だけでなく、餅を含めた食文化や生活習慣など境界となっています」(北野さん)

異文化は北前船や“藩主の伝統”が影響?

では、山形県や高知県、鹿児島県、沖縄県は、なぜ餅の境界の例外となったのでしょうか。

「山形県の庄内地方で丸餅が食されているのは、江戸時代の北前船の影響だろうといわれています。庄内は、京や大坂の上方から物資を積んだ船の日本海最大の寄港地でした。積荷と共に上方の食文化も運ばれてきたので、その影響を受けたのでしょう。

高知県については、遠州(静岡県)掛川から多くの家臣団を引き連れて土佐に入国した藩主・山内氏の故郷の伝統によるという説があります。

鹿児島県では歴史的な理由は定かではないですが、日本各地の食生活を聞き書きした『聞き書 鹿児島の食事』(主に大正の終わり~昭和の初め頃)の【鹿児島市<商家>の食】の項によると、『正月のもちの白もちは、お供え用の鏡もちと小さな丸もち、雑煮や焼きもち用ののしもちにする』とあります。

さらに【南薩摩漁村の食】では、『元日の朝には、最初に丸もちを焼いて食べるが、これを〈歯固めもち〉といって…』、【北薩摩<農耕士族の食>】では『のしもち』、【霧島山麓の食】では『小もち』などと記されており、昔から丸餅も角餅も食していたようです。

沖縄県については、同『聞き書 沖縄の食事』(鹿児島と同時代の食について記載)の餅の形が記されている【糸満の食】には、『もち米を臼でひいてこねたものを丸くつくる』とあり、その他の地方では、もちは主に仏事に作られることが多いようです。丸形、小判形、平もち、ねじった形など、仏事の内容により多種の形が存在するようで興味深いですね」(北野さん)

焼くと煮るの違いは?

餅を“焼く”“煮る”の違いは、何でしょうか。

「餅を焼くか煮るかの違いついては、未だ明確な答えがありません。個人的には、それぞれの出汁の味わいによって、先人たちが工夫をして、今に至ったのではないかと思います。例えば、雅な公家文化の栄えた京都でははんなりした白味噌が好まれ、甘くまろみのある白味噌には煮とろけた柔らかい餅がよく合う。武家文化の江戸では『勝つ』『勝男武士』に通じる鰹出汁が選ばれ、それには焼いた餅の香ばしさと食感が合う、というようにです」(北野さん)

確かにアンケート結果では、東の「角餅×焼く」と西の「丸餅×煮る」の間に「角餅×煮る」が増えて、文化の緩衝地帯(かんしょうちたい)のように見えるのも、興味深いところです。

地域だけでなく、家庭によっても文化は育まれます。

「大阪出身の父と京都出身の母を持つ大阪人の私は、元日は白味噌仕立て、二日はすまし仕立て、三日は白味噌に戻るという雑煮パターンでした。ただし、すましは、関西出汁である昆布と鰹の両方を使用したもので、『丸餅・焼かない』は鉄則です。

その家々に伝承される習わしや嗜好などで、角餅でも丸餅でも、焼いても煮ても、お正月の家族団らんのひとときに、美味しく楽しく、途絶えることがないように食べ続けられることを願います」(北野さん)

お正月は神様を家に迎えて感謝し、すこやかな1年を願うもの。お雑煮をありがたく頂いて、新年を祝いましょう。
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参考資料など

『和食文化ブックレット1 ユネスコ無形文化遺産に登録された和食 和食とは何か』(和食文化国民会議監修/熊倉功夫・江原絢子著/思文閣出版)、『和食文化ブックレット2 ユネスコ無形文化遺産に登録された和食 年中行事としきたり』(和食文化国民会議監修・中村羊一郎著/思文閣出版)、『外国人にも話したくなる ビジネスエリートが知っておきたい 教養としての日本食』(永山久夫監修/KADOKAWA)、『祝いの食文化』(松下幸子著/東京美術)、『「まつり」の食文化』(神崎宣武/角川選書)、『伝承写真館 日本の食文化② 東北2』(農山漁村文化協会)、『聞き書 山形の食事』(「日本の食生活全集 山形」編集委員会 代表 木村正太郎/農山漁村文化協会)、『聞き書 高知の食事』(「日本の食生活全集 高知」編集委員会 松崎淳子/農山漁村文化協会)、『聞き書 鹿児島の食事』(「日本の食生活全集 鹿児島」編集委員会 代表 岡正/農山漁村文化協会)、『聞き書 沖縄の食事』(「日本の食生活全集 沖縄」編集委員会 代表 尚 弘子/農山漁村文化協会)