季節によって時刻が変わった江戸時代
江戸時代は夜明けを「明け六つ」、日暮れを「暮れ六つ」、その間を6等分して六つ(夜明け)→五つ→四つ→九つ(正午)→八つ→七つ→六つ(日暮れ)として、お寺がその数だけ鐘を突いて時刻を知らせていました。ちなみに「おやつ」は昼過ぎの「八つ」に食べたからこう呼ばれています。
「夜明け」は日の出前の薄明かり、「日暮れ」は日没後の薄明かりをいうので、夏至ともなると「明け六つ」は今の時刻で午前3時50分頃「暮れ六つ」は午後7時50分頃でした(江戸=東京の場合)。
その間は16時間もあるのですから、鐘と鐘の間の「一刻」の長さが約2時間40分になりました。逆に昼間の時間が一番短い冬至は「一刻」が約1時間50分と短くなります。季節によって時刻の長さが変わるので「不定時法」と呼ばれています。
「夜明け」は日の出前の薄明かり、「日暮れ」は日没後の薄明かりをいうので、夏至ともなると「明け六つ」は今の時刻で午前3時50分頃「暮れ六つ」は午後7時50分頃でした(江戸=東京の場合)。
その間は16時間もあるのですから、鐘と鐘の間の「一刻」の長さが約2時間40分になりました。逆に昼間の時間が一番短い冬至は「一刻」が約1時間50分と短くなります。季節によって時刻の長さが変わるので「不定時法」と呼ばれています。
不定時法に合わせた時計もあった
季節によって時刻が変わるのですから、今でいう「サマータイム」のようなものです。冬は「ウィンタータイム」に移行しますが、日の長さに応じて「一刻」が少しずつ長くなったり短くなったりするのですから、無理なく適応できる、巧みな「不定時法」といえるでしょう。
江戸時代にも時計がありました。不定時法に対応する時計はどういうものだったのでしょうか。1つは季節によって文字盤の時刻目盛の間隔を変えて不定時法に対応しました。夏の文字盤は昼間の時刻目盛の間隔が広く、夜の時刻目盛の間隔が狭くなっています(上の写真左の時計)。
もう1つの方法は、往復運動をする「棒てんぷ」のおもりの位置を変えることで、針の進み方を変えていました。昼間が長い夏至の日は針をゆっくり進め、夜になると針が速く進んだのです(上の写真右の時計)。
夏至を過ぎると、また冬至に向かって昼の時間がだんだんと短くなっていきます。「こんな時間なのにまだ明るい」という気分を長く楽しんでいたいものですね。
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江戸時代にも時計がありました。不定時法に対応する時計はどういうものだったのでしょうか。1つは季節によって文字盤の時刻目盛の間隔を変えて不定時法に対応しました。夏の文字盤は昼間の時刻目盛の間隔が広く、夜の時刻目盛の間隔が狭くなっています(上の写真左の時計)。
もう1つの方法は、往復運動をする「棒てんぷ」のおもりの位置を変えることで、針の進み方を変えていました。昼間が長い夏至の日は針をゆっくり進め、夜になると針が速く進んだのです(上の写真右の時計)。
夏至を過ぎると、また冬至に向かって昼の時間がだんだんと短くなっていきます。「こんな時間なのにまだ明るい」という気分を長く楽しんでいたいものですね。
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写真:ウェザーリポート(ウェザーニュースアプリからの投稿)
すたぁさん
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