あたりまえのようにおせちの重箱に収まっている栗きんとんですが、意外と知られていないことがあります。おせち料理の栗きんとんの3つの秘密について、歳時記×食文化研究所の北野智子さんに伺いました。
(1)初めはお菓子として登場した?
今ではおせち料理の定番として知られていますが、料理として普及したのは割と最近のことだそうです。
「きんとんは『金団』と記し、料理の『きんとん』以外にも、茶席用和菓子の『きんとん』も存在します。
求肥(ぎゅうひ)やあんを芯にして、まわりにそぼろあんを彩りよく付けた和菓子を、関西では昔からきんとんと呼びます。また、岐阜県中津川市や恵那市には、炊いた栗に砂糖を加えて練り上げ、茶巾(ちゃきん)に絞った和菓子が古くから伝わり、銘菓『栗きんとん』として販売されています」(北野さん)
「きんとん」という名前の食べ物は古くから存在しており、各時代の文献にも登場しているようです。
「きんとんは、古くは『橘飩(きっとん)』といい、『金飩』とも書きます。金は金色=黄色で、飩は蒸し餅または麺類の一種をいいます。
室町時代の文献では『きんとん』の名前が見られるようになり、『きんとんを食べる時には注意しないと中の砂糖がとび出して顔にかかる』と紹介されています。
さらに江戸時代の菓子製法書では、『求肥を切て中の種にして、上餡にて餡ころの様にくるみ、其上へ又上餡(あん)を裏漉(ごし)にしてそぼろにかけるなり。紅餡、白餡、色々あり』と紹介されており、ほとんど現在のきんとんに近いものといえます。
このように、きんとんは初めは菓子のことをいい、菓子のきんとんから派生して料理のきんとんが普及したのではないかと考えられます」(北野さん)
「きんとんは『金団』と記し、料理の『きんとん』以外にも、茶席用和菓子の『きんとん』も存在します。
求肥(ぎゅうひ)やあんを芯にして、まわりにそぼろあんを彩りよく付けた和菓子を、関西では昔からきんとんと呼びます。また、岐阜県中津川市や恵那市には、炊いた栗に砂糖を加えて練り上げ、茶巾(ちゃきん)に絞った和菓子が古くから伝わり、銘菓『栗きんとん』として販売されています」(北野さん)
「きんとん」という名前の食べ物は古くから存在しており、各時代の文献にも登場しているようです。
「きんとんは、古くは『橘飩(きっとん)』といい、『金飩』とも書きます。金は金色=黄色で、飩は蒸し餅または麺類の一種をいいます。
室町時代の文献では『きんとん』の名前が見られるようになり、『きんとんを食べる時には注意しないと中の砂糖がとび出して顔にかかる』と紹介されています。
さらに江戸時代の菓子製法書では、『求肥を切て中の種にして、上餡にて餡ころの様にくるみ、其上へ又上餡(あん)を裏漉(ごし)にしてそぼろにかけるなり。紅餡、白餡、色々あり』と紹介されており、ほとんど現在のきんとんに近いものといえます。
このように、きんとんは初めは菓子のことをいい、菓子のきんとんから派生して料理のきんとんが普及したのではないかと考えられます」(北野さん)
(2)「栗きんとん」に込められた意味とは?
いつ頃から料理としてのきんとんが食べられるようになったのでしょうか?
「菓子のきんとんに比べて、料理のきんとんについては古い文献がほとんどありません。
ただ、1895年の『実用料理法』に『栗の金団』として、『栗をゆでて皮をむき、よく渋皮をとり、砂糖にすこし塩を加へ(え)て味をつけ、半(なかば)をつぶし摺(す)りて餡のや(よ)うになし、残りの栗と共和(ともにあえ)にす、旨(うま)きものなり』と、ほぼ現在の料理のきんとんと同じ製法が記されています。
つまり、少なくとも明治時代以降には料理としてのきんとんが普及していたと考えられます。それが次第に縁起がよい食べ物として正月のおせち料理にも加えられるようになったのでしょう」(北野さん)
なぜ、新年の縁起物になったのでしょうか。
「『金団』の表記から金の布団や金の団子のイメージが浮かび、“黄金の財宝に恵まれる”という縁起物となって、“豊かな一年でありますように”の願いが込められるようになりました。
また、栗を『搗(か)ち栗』と呼ぶことから、“金運を勝ち取る”という願いも込められています。搗ち栗とは、栗の実を干して臼でつき、殻と渋皮を取り去ったものです。
『勝ち』と同音であるところから出陣や祝いの膳、さらに正月の祝い肴(ざかな)にも用いられるようになったのです」(北野さん)
「菓子のきんとんに比べて、料理のきんとんについては古い文献がほとんどありません。
ただ、1895年の『実用料理法』に『栗の金団』として、『栗をゆでて皮をむき、よく渋皮をとり、砂糖にすこし塩を加へ(え)て味をつけ、半(なかば)をつぶし摺(す)りて餡のや(よ)うになし、残りの栗と共和(ともにあえ)にす、旨(うま)きものなり』と、ほぼ現在の料理のきんとんと同じ製法が記されています。
つまり、少なくとも明治時代以降には料理としてのきんとんが普及していたと考えられます。それが次第に縁起がよい食べ物として正月のおせち料理にも加えられるようになったのでしょう」(北野さん)
なぜ、新年の縁起物になったのでしょうか。
「『金団』の表記から金の布団や金の団子のイメージが浮かび、“黄金の財宝に恵まれる”という縁起物となって、“豊かな一年でありますように”の願いが込められるようになりました。
また、栗を『搗(か)ち栗』と呼ぶことから、“金運を勝ち取る”という願いも込められています。搗ち栗とは、栗の実を干して臼でつき、殻と渋皮を取り去ったものです。
『勝ち』と同音であるところから出陣や祝いの膳、さらに正月の祝い肴(ざかな)にも用いられるようになったのです」(北野さん)
(3)鮮やかな黄色は栗そのものでない?
確かにおせちの栗きんとんは、黄金を思わせる鮮やかな黄色が特徴です。
「栗きんとんは、その意味合いからも鮮やかな黄金の光のように、かつては搗ち栗とサツマイモのあんで仕上げました。ただし現在では、クチナシで黄色く染めた栗の甘露煮を使うのが一般的です。クチナシの実は果肉を水に溶かすと、鮮やかな黄色に染まるのです。
1958年の『飲食事典』には、『クチナシの汁で黄金色をつけるので、金団という』とあります。
先に述べた『橘飩』は長崎を発祥とする卓袱(しっぽく)料理のひとつといわれ、小麦粉を黄色く着色したものを丸めてゆでたものでした。
同じ『橘』の文字で表わされる『橘焼(たちばなやき)』は、『すりつぶした魚の肉をビワの実の大きさに丸め、クチナシで黄色に色付けし、たれ味噌で煮てカラタチの枝に挿した料理』だったといいます。
また、『近世の発明であるきんとんは、長芋(ナガイモ)などを煮てすり、砂糖を加え、クチナシで着色して、これに栗、クワイなどの煮たものを混ぜたもの』とされています」(北野さん)
おせち料理で豪華な食材に負けない黄金色に輝く栗きんとんは、けっして“脇役”とはいえない縁起や歴史を秘めているようです。
お菓子としての由来などもしのびつつ、正月の祝いの席でじっくり味わってみてはいかがでしょうか。
» その他のニュースをアプリで見る
「栗きんとんは、その意味合いからも鮮やかな黄金の光のように、かつては搗ち栗とサツマイモのあんで仕上げました。ただし現在では、クチナシで黄色く染めた栗の甘露煮を使うのが一般的です。クチナシの実は果肉を水に溶かすと、鮮やかな黄色に染まるのです。
1958年の『飲食事典』には、『クチナシの汁で黄金色をつけるので、金団という』とあります。
先に述べた『橘飩』は長崎を発祥とする卓袱(しっぽく)料理のひとつといわれ、小麦粉を黄色く着色したものを丸めてゆでたものでした。
同じ『橘』の文字で表わされる『橘焼(たちばなやき)』は、『すりつぶした魚の肉をビワの実の大きさに丸め、クチナシで黄色に色付けし、たれ味噌で煮てカラタチの枝に挿した料理』だったといいます。
また、『近世の発明であるきんとんは、長芋(ナガイモ)などを煮てすり、砂糖を加え、クチナシで着色して、これに栗、クワイなどの煮たものを混ぜたもの』とされています」(北野さん)
おせち料理で豪華な食材に負けない黄金色に輝く栗きんとんは、けっして“脇役”とはいえない縁起や歴史を秘めているようです。
お菓子としての由来などもしのびつつ、正月の祝いの席でじっくり味わってみてはいかがでしょうか。
» その他のニュースをアプリで見る
参考資料など
『祝いの食文化』(松下幸子/東京美術選書)、『たべもの語源辞典』(清水桂一編/東京堂出版)、『たべもの起源事典』(岡田哲編/東京堂出版)、『飲食事典』(本山荻舟/平凡社)