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すき焼きは「煮る派」「焼く派」、どっち?

2022/05/16 17:26 ウェザーニュース

冬本番の寒さとなれば、鍋物などの温かい食べ物を囲む機会も増えてきます。なかでも牛肉のすき焼きは格別の存在です。

国民的人気のすき焼きですが、その作り方は主に関東の「煮る」と、関西の「焼く」というように大きく2つに分かれています。

地域によって、すき焼きの調理法になぜ違いがあるのか、また、すき焼きの歴史などについて、歳時記×食文化研究所の北野智子さんに伺いました。

農具の鋤の上で焼いたので『鋤焼』

日本ではすき焼きがいつ頃から食べられるようになったのでしょうか。

「すき焼きは日本独特の和食化された牛肉鍋料理といえる存在です。語源も諸説ありますが、鳥獣肉や魚肉を農具の鋤(すき)の上で焼いたので『鋤焼』とする説が最も有力視されています。

江戸時代の1801年に著された『料理早指南』に雁(かり=ガン)や鴨(カモ)を鋤の上で焼く鋤焼、1803年の『素人包丁』にはハマチを使った、次のような鋤焼の記述があります。

――火の上にかけた唐(から)すきをよく焼き、油にてぬぐい、その上に三枚におろし小口に作ったはまちの身を並べて焼くなり。大根おろし、醤油、唐辛子(トウガラシ)などにて席上にて焼くべし。唐すきなき時は薄鍋、いたら貝(たいら貝)の類にてもよし。

1803年の『新撰包丁梯(かけはし)』には、しび(マグロ)鋤焼、1832年の『鯨肉調味方』では、次のように記されています。

――鋤焼とは古き鋤のよく摩(すれ)て鮮明なるを熾火(おきび)の上に置きわたし それに切肉(クジラ肉)をのせて焼(やく)をいふ 鋤にもかぎらず鉄器のよくすれて鮮明なるを用ふべし。

現在のすき焼きは、鉄鍋で牛肉にネギやキクナ(シュンギク)などの野菜や豆腐を加え、醤油や砂糖で調味して炊きながら食べる鍋物ですが、江戸時代のすき焼きは鋤を鍋の代わりにして鳥や魚の肉を焼く“焼物”でした。

日本人が食することを長く禁じられていた牛の肉を、大っぴらに食べ始めた料理は『牛鍋』だとされています。仏教伝来後、天武天皇が675年に発布した『肉食禁止の詔(みことのり)』では、禁忌の対象が牛・馬・犬・猿・鶏とされています。以来およそ1200年にわたり、日本人は肉食から遠ざけられていたのです。

ようやく明治時代に肉食が解禁されて『牛鍋屋』が誕生し、“牛鍋を食することは文明開化の象徴”ともいうべきものとなりました。最初の牛鍋屋は横浜で1862年に開業した『伊勢熊』といわれています」(北野さん)

「すき焼き」が全国区になった背景は?

なぜ、牛鍋がすき焼きと呼ばれるようになったのでしょうか。

「横浜で誕生した牛鍋が関西に伝わると『すき焼き』と名前を変え、それが全国に広まっていき、共通の呼称になったのではないかという説や、すき焼きはもともと関西言葉で、関東では牛鍋と呼ぶという説があります。

しかし、それらは疑問に思われます。なぜなら、当時の牛鍋は牛肉の臭みを取るために味噌を入れて煮込むのが主な調理方法で、すき焼きの調理法とは根本的に異なっているからです」(北野さん)

すき焼きが全国に広まった背景には、もっと違う理由があると北野さんは考えます。

「関西ではもともと、魚を用いた『魚(うお)すき』という独特の料理が存在していました。先に述べた『素人包丁』に記されているのが魚すきの一例です。1864年に創業した大阪の丸萬本家(現在も営業中)の魚すきは有名で、鰆(サワラ)、鯛(タイ)、海老(エビ)、烏賊(イカ)など季節の魚介を、野菜や焼豆腐などとともに焼くものです。

その後、明治になり、関西で牛肉を用いるすき焼きの調理法が創作され、1869年に神戸・元町に最初の牛肉すき焼き店『月下亭』が開店しました。1868年に開港した神戸港に停泊する外国船の船員たちが、牛肉を求めて付近の農家から牛を一頭買いするなど、「神戸ビーフ」の名で牛肉の販売が広まっていったことも背景にあるのではないかと思います。

そのため『すき焼き』は、もともと関西で発達した魚すきが祖型で、魚を牛肉に変えたものが1923年の関東大震災後に関東へ伝わったのをきっかけに、次第に牛鍋からすき焼き置き換わっていったのではないかと思われます」(北野さん)

関西地方では70%以上が、「焼く」

ウェザーニュースで、すき焼きの作り方についてアンケート調査を実施しました。その結果、岐阜県を境にして東が「煮る」(肉を割下に入れる)、西が「焼く」(始めに肉を焼く)との回答が多くなりました。

特に関西地方では「焼く」傾向が顕著で、最も多い大阪・奈良が75%、京都・滋賀・兵庫も70%を超え、最も少ない和歌山でも69%という高い値を示しています。

具体的に関東風と関西風で作り方にどのような違いがあるのでしょうか。

「関東風は鉄鍋にみりん、醤油、出汁などを合わせた割下で、牛肉と具材を煮ます。関西風は熱した鉄鍋に牛脂をひき、牛肉だけを入れて7~8割方焼けたら、砂糖、醤油を振り入れて食べます。その後に野菜を入れ、野菜の水分のみで焼き煮します。

関東では煮込みスタイルの牛鍋をベースにしているので、牛鍋の調理法である牛肉の臭みを消すための味噌煮が醤油味に変わったといわれています。

関西では古くから鋤の上で魚肉を焼く魚すきが発達していたので、同じ鋤焼スタイルで牛肉を焼くようになったのではないでしょうか」(北野さん)

ちなみに、すき焼きを生卵につけて冷ましながら食べることも、関西が発祥とされているそうです。

「1881年、大阪・心斎橋に開業したすき焼きの『北むら』(営業中)が、生卵にすき焼きをつける方法を考案しました。

“食材に特徴があり、大阪・なにわの食文化を感じさせるすき焼き”として、魚すきのほかに『鯨の鹿の子(かのこ=アゴ骨周りの部分)のすき焼き』があります。少量しか取れない高級部位を用いたぜいたくな一品です」(北野さん)

煮ても焼いても、すき焼きはわたしたちの格別のごちそうにちがいありません。年末年始に家族そろってすき焼きを味わう際には、歴史や地域性に目を向けてみるのも面白いかもしれません。

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参考資料など

『図説 江戸料理事典』(松下幸子/柏書房)、『たべもの起源事典』(岡田哲編/東京堂出版)、『日本の味 探求事典』(岡田哲編/東京堂出版)、『日本の食文化史年表』(江原絢子 東四柳祥子 編著/吉川弘文館
)、『外国人にも話したくなる ビジネスエリートが知っておきたい 教養としての日本食』(永山久夫/KADOKAWA)、『明治洋食事始め』(岡田哲/講談社学術文庫)