なぜ「師走」と呼ぶのか?
「旧暦の時代に使われていた各月の和名を和風月名(わふうげつめい)といいます。12月の代表的な和風月名は師走で、普段落ち着いている僧侶でさえ走り回るくらい忙しい月、という語源説がよく語られます。
しかし、これは俗説だとされています。“しわす”という言葉は、仏教が伝来した頃にはすでに使われていて、十有二月、十二月、季冬などと書いて、“しわす”と読ませていました」(山下さん)
では、なぜ1年の最後の月を師走と書くようになったのでしょうか。
山下さんによると、「歳果(としは)つ」や「為果(しは)つ」が変化したというのが有力な語源説だそうです。つまり、「としはつ」「しはつ」と呼び慣わされていた言葉が、「しはす」から「しわす」に変化し、師走という当て字で書かれるようになったことになります。
歳が果てる、万事を為し果たす……まさに、1年の締めくくりの月にふさわしい名称です。
しかし、これは俗説だとされています。“しわす”という言葉は、仏教が伝来した頃にはすでに使われていて、十有二月、十二月、季冬などと書いて、“しわす”と読ませていました」(山下さん)
では、なぜ1年の最後の月を師走と書くようになったのでしょうか。
山下さんによると、「歳果(としは)つ」や「為果(しは)つ」が変化したというのが有力な語源説だそうです。つまり、「としはつ」「しはつ」と呼び慣わされていた言葉が、「しはす」から「しわす」に変化し、師走という当て字で書かれるようになったことになります。
歳が果てる、万事を為し果たす……まさに、1年の締めくくりの月にふさわしい名称です。
その他の12月の呼び名は?
師走以外にも、旧暦の時代は12月の異称がたくさん使われていたそうです。その中から代表的な呼び方を山下さんに解説していただきました。
読み方は「ごくげつ」と読むのが一般的ですが、このようにさまざまな読まれ方がされてきた異称です。「極」(ごく)という漢字にも、「極(きわ)まる」という言葉にも、終わるという意味があります。
どの読み方であっても、1年の最後の月という実感がこもっています。
「の」を略して「限り月」という言い方もあります。「限る」はもともと、時間などに境目(さかいめ)をつけるという意味です。つまり、節目の月ということになります。
今年もこの月限り……と、1年の終わりを惜しむ心情にあふれた呼び名です。
「除」という漢字には、払い除(のぞ)くという意味があります。従って「除月」は、旧年を払い除く月という意味です。同じ意味で、大晦日(おおみそか)を「除日(じょじつ)」、その夜を「除夜(じょや)」といいます。
古い年をリセットして、まっさらな気持ちで新年を迎えたいという思いは、今も昔も同じですね。よくないことがあった年は、特に12月を「除月」と呼びたい気持ちになるかもしれません。
年が終わるのではなく、積み重なるという考えから生まれた12月の異称です。旧暦の時代は誕生日ではなく、正月になるとみんなが1歳年をとりました。月日だけでなく、年齢も積み重なることから、この呼び名ができたのでしょう。
同じような意味で、12月には「年世積月(としよつむつき)という異称もあります。こちらの方が、やさしい響きになりますね。
旧暦の時代の元日は、立春(2月4日頃)の前後でした。そのため新年は、春の始まりでもあったのです。その春を待つ月ということで、旧暦12月は「春待月」とも呼ばれました。
現代の12月は、これから冬本番に向かう時季です。そのため「春待月」と呼ぶには、ちょっと早すぎる気がします。しかし、新年を待つ心の華やぎは、春を待つ気持ちと似ていないこともありません。
12月には「年満月」という異称もあります。1年を大きさが決められた時の器と考えると、そこにさまざまな経験や思い出が満ちていくのです。
いいことも悪いこともあふれるように詰まった1年……。最後の月が満ち足りた思いで締めくくれるといいですね。
このほかにも、12月の異称はたくさんあるそうです。みなさんの気持ちに、ぴったりくる異称はあったでしょうか。
月の呼び方ひとつで、過ごし方が変わってくるかもしれません。
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「極月」(ごくげつ、ごくつき、きょくげつ、きわまりづき、きわまるつき)
読み方は「ごくげつ」と読むのが一般的ですが、このようにさまざまな読まれ方がされてきた異称です。「極」(ごく)という漢字にも、「極(きわ)まる」という言葉にも、終わるという意味があります。
どの読み方であっても、1年の最後の月という実感がこもっています。
「限りの月」(かぎりのつき)
「の」を略して「限り月」という言い方もあります。「限る」はもともと、時間などに境目(さかいめ)をつけるという意味です。つまり、節目の月ということになります。
今年もこの月限り……と、1年の終わりを惜しむ心情にあふれた呼び名です。
「除月」(じょげつ)
「除」という漢字には、払い除(のぞ)くという意味があります。従って「除月」は、旧年を払い除く月という意味です。同じ意味で、大晦日(おおみそか)を「除日(じょじつ)」、その夜を「除夜(じょや)」といいます。
古い年をリセットして、まっさらな気持ちで新年を迎えたいという思いは、今も昔も同じですね。よくないことがあった年は、特に12月を「除月」と呼びたい気持ちになるかもしれません。
「年積月」(としつみづき、としつもづき)
年が終わるのではなく、積み重なるという考えから生まれた12月の異称です。旧暦の時代は誕生日ではなく、正月になるとみんなが1歳年をとりました。月日だけでなく、年齢も積み重なることから、この呼び名ができたのでしょう。
同じような意味で、12月には「年世積月(としよつむつき)という異称もあります。こちらの方が、やさしい響きになりますね。
「春待月」(はるまちづき)
旧暦の時代の元日は、立春(2月4日頃)の前後でした。そのため新年は、春の始まりでもあったのです。その春を待つ月ということで、旧暦12月は「春待月」とも呼ばれました。
現代の12月は、これから冬本番に向かう時季です。そのため「春待月」と呼ぶには、ちょっと早すぎる気がします。しかし、新年を待つ心の華やぎは、春を待つ気持ちと似ていないこともありません。
「年満月」(としみつづき)
12月には「年満月」という異称もあります。1年を大きさが決められた時の器と考えると、そこにさまざまな経験や思い出が満ちていくのです。
いいことも悪いこともあふれるように詰まった1年……。最後の月が満ち足りた思いで締めくくれるといいですね。
このほかにも、12月の異称はたくさんあるそうです。みなさんの気持ちに、ぴったりくる異称はあったでしょうか。
月の呼び方ひとつで、過ごし方が変わってくるかもしれません。
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