津波防災の日の由来は江戸末期の南海地震
11月5日が津波防災の日とされたのは、江戸末期の1854年に起きた「安政南海地震」に由来します。
南海トラフ巨大地震の一つであるこの地震は、近畿や四国地方を中心に激しい揺れとなり、また、太平洋側沿岸部には大津波が押し寄せました。
この時の逸話として「稲村の火」という物語があります。村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の襲来に気づきます。村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に火をつけました。それを火事と見て消火のため高台に集まった村人たちの眼下で津波は猛威をふるい、村人たちは津波から守られたという話です。
この話は、和歌山県広川町の実業家、濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)をモデルにしています。濱口が火をつけたのは高台に建つ神社近くの稲むらで、暗闇のなかで村人たちはその火を頼りに九死に一生を得たのです。
その日が11月5日(旧暦)だったのです。
南海トラフ巨大地震の一つであるこの地震は、近畿や四国地方を中心に激しい揺れとなり、また、太平洋側沿岸部には大津波が押し寄せました。
この時の逸話として「稲村の火」という物語があります。村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の襲来に気づきます。村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に火をつけました。それを火事と見て消火のため高台に集まった村人たちの眼下で津波は猛威をふるい、村人たちは津波から守られたという話です。
この話は、和歌山県広川町の実業家、濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)をモデルにしています。濱口が火をつけたのは高台に建つ神社近くの稲むらで、暗闇のなかで村人たちはその火を頼りに九死に一生を得たのです。
その日が11月5日(旧暦)だったのです。
津波から命を守る方法は「とにかく逃げる」こと
津波防災の日が制定されるきっかけとなった2011年の東日本大震災では、震災関連死を除く亡くなった方のうち約90%が津波が原因と推定されています。
津波は、迫ってくる速度がとにかく速いという危険な特徴があります。図のとおり、海が深い沖合を進む段階では時速数百kmに達し、沿岸に近づき速度が遅くなった場合でも時速数十kmはあります。
海岸で津波を目撃してから逃げるのでは間に合わない可能性が高く、海岸で揺れを感じた場合は、まず逃げるのが最も重要です。
津波は、迫ってくる速度がとにかく速いという危険な特徴があります。図のとおり、海が深い沖合を進む段階では時速数百kmに達し、沿岸に近づき速度が遅くなった場合でも時速数十kmはあります。
海岸で津波を目撃してから逃げるのでは間に合わない可能性が高く、海岸で揺れを感じた場合は、まず逃げるのが最も重要です。
津波警報・注意報と取るべき対応
気象庁では地震による津波が予想される場合に、大津波警報や津波警報、津波注意報を発表します。
現在運用されている津波警報などは、予想される高さによって段階があり、対応方法の目安もあります。津波注意報の場合は海岸から離れること、大津波警報・津波警報は沿岸の家屋の浸水や流失するレベルとなるため、一刻も早く高台などに逃げる必要があります。また、川をかなりの上流(大津波の場合は10km以上になることも)まで遡上することがあり、大地震の場合は川沿いからも離れる必要があります。
南海トラフ地震対策として、最近は津波避難タワーが建設されているところもあり、間に合わない場合はそこへの避難も有効です。
津波防災の日を機にもう一度、ご自身の津波対策を見直してみてはいかがでしょうか。
>>その他のニュースをアプリで見る
現在運用されている津波警報などは、予想される高さによって段階があり、対応方法の目安もあります。津波注意報の場合は海岸から離れること、大津波警報・津波警報は沿岸の家屋の浸水や流失するレベルとなるため、一刻も早く高台などに逃げる必要があります。また、川をかなりの上流(大津波の場合は10km以上になることも)まで遡上することがあり、大地震の場合は川沿いからも離れる必要があります。
南海トラフ地震対策として、最近は津波避難タワーが建設されているところもあり、間に合わない場合はそこへの避難も有効です。
津波防災の日を機にもう一度、ご自身の津波対策を見直してみてはいかがでしょうか。
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