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冷奴はいつからあるの? 薬味にカラシをつけている地域があった!

2021/06/28 11:25 ウェザーニュース

東北地方以南が梅雨入りし、気温と湿度が上がる時季になりました。そんな時季に冷奴は不快さを解消してくれる惣菜の1つで、家飲みのおつまみとしても重宝します。冷奴の薬味といえば生姜(ショウガ)が一般的ですが、カラシを添えるという地域もあるのです。

ウェザーニュースで「冷奴につけるものは?」というアンケート調査を行ったところ、次のような結果となりました。
冷奴の薬味に生姜を用いる割合は、全体では70%と圧倒的多数でしたが、石川県ではカラシが39%と、生姜(43%)に匹敵する高い比率となっています。

夏の風物詩、冷奴のルーツや、なぜ石川県民のみがカラシを溺愛するのかについて、歳時記×食文化研究所の北野智子さんに伺いました。

江戸時代の豆腐の食し方

豆腐は日本でいつごろから食べられるようになり、冷奴のような食べ方が定着したのはどの時代からでしょうか。

「豆腐の起源は中国にあるとされています。日本へ伝来したのは奈良時代、平安時代など諸説あり、明らかでありません。現在のような豆腐として広く一般に普及したのは、室町時代であろうといわれています。おいしくて栄養があり、飽きもこず価格も安いことから、江戸時代には豆腐は万人に愛されるようになった食品で、庶民の強い味方でした」(北野さん)

江戸時代のベストセラーで、100種類もの豆腐料理のレシピを記した『豆腐百珍』(1782年)は単に豆腐料理を列挙するだけでなく、「尋常品」「通品」「佳品」「奇品」「妙品」「絶品」の6分類を定めて紹介するなど、「大いに豆腐を遊び、洒落(しゃれ)を愉(たの)しむ本」(北野さん)でもあったそうです。

「『通品』の中で紹介されている『三十四 やっこ豆腐』が、現代の冷奴ではないかと考えられています。しかし『豆腐百珍』などで、数百種の豆腐料理が挙げられてはいても、その多くは料理本来の味を離れ、遊び心にあふれたものでした。

結局のところ、豆腐はなるべく手を加えずにそのまま食べるのに尽きるというのが、衆目の一致するところ、一般的には、夏には冷奴、冬には湯奴(湯豆腐)というのが、江戸時代の庶民の豆腐の食し方だったようです」(北野さん)

冷奴と湯豆腐の場合、食べる側が“こだわり”を出すには、薬味や調味料を選ぶしかなかったのですね。

「『守貞謾稿』という1853年に刊行された江戸時代の風俗を記した書物には、薬味について、『湯奴、冷奴ともに、必ずおろし大根を加え、また青唐辛子、紫海苔(海苔の佃煮のようなもの)、山葵(ワサビ)、陳皮(チンピ/ミカンなどかんきつ類の皮を干したもの)なども加えて食す』とあります。ただ、現在ではおろし大根は冷奴の薬味としては、幻といえる存在ではないでしょうか。

『たべもの起源事典』(岡田哲編/東京堂出版/2003年刊)の『冷奴』の項には、『冷やした豆腐を四角いやっこに切り、薬味にネギ、削り節、しょうがを添え、醤油をかけたもの』とあり、やはり冷奴の薬味には、生姜が一般的であると思われます」(北野さん)

ちなみに「奴」とは、江戸時代の武家の従者で槍持ちのこと。奴の着物につけられた四角の紋所(◇)に似ているからという説や、冷たいことを表現する「ひやっこい」から、「ひややっこ」に転訛(てんか)したという説などがあるようです。

薬味は何のためにある?

食べ物に「薬味」を添えることにはどんな意味合いがあるのでしょうか。

「日本における薬味は、料理に添えると香り・彩りが加わる優れた脇役として発達し、食欲増進のほか殺菌(毒消し)、身体を温める、消化促進などさまざまな薬効が期待されてきました。

すでに奈良・平安時代には、日本人が香辛料として使っていたものとして、山椒(サンショウ)、山葵、生姜、蓼(タデ)、ミョウガ、セリなどがあったといいます。

冷奴に絞ってみると、カラシはおもに食欲増進や殺菌などの効能が期待されていました。もともと塗り薬などとして用いられていたようで、食用とされるのは室町時代以降のようです。生姜はさわやかな辛みが喜ばれ、おもに殺菌力・身体を温める(冷え性の予防)効能が期待されていました」(北野さん)

カラシの薬味は「茶碗豆腐」(能登・七尾)がルーツ?

石川県では他のエリアと比べて「カラシ」をつける割合が圧倒的に多いのは、なぜなのでしょうか。

「石川県全域と岐阜県内の一部にもある『茶碗豆腐』が、ルーツではないかと考えられます。もともと能登地方に位置する、風光明媚(ふうこうめいび)で好漁場を抱えた七尾湾沿岸の漁師町・七尾の地において昔から夏に食べられてきた郷土料理で、その中にカラシが入っていたからだと思われます。

茶碗豆腐は、豆腐の中にカラシを入れて茶碗で固めたもので、殺菌効果が高まり、腐りにくくなるといいます。主に七尾へ行き来する荷物の集荷や運搬をする人々の休憩所であった七尾湊の桟橋近辺や、社寺の境内・門前に店を出していた茶屋で、暑い夏に水を張った桶で冷やした茶碗豆腐は人気の目玉商品だったと思われます」(北野さん)

本来崩れやすい豆腐ですが、茶碗に入れているので、簡単に冷やせて包丁で切る手間がいらず、初めからカラシを内蔵しているため腐りにくい。茶碗豆腐が優れた商品だということがわかります。それを“売り”に近在の奥様達にも豆腐屋が積極的に売り込みをして、広まっていったようです。

「そうして茶碗豆腐は、能登地方全域から石川県に伝播されていったのではないかと思われます。ただ、茶碗豆腐はあまりにも狭い地域内の食べものだったからか、主体が豆腐(冷奴)のため珍しく思われなかったからか、知る人ぞ知る存在だったようです。

冷奴の薬味が生姜にせよカラシにせよ、幼い頃から慣れ親しんだ味は年月を経ても変わらず、その人にとって好ましく懐かしい味であり、マイソウル薬味なのでしょう」(北野さん)

暑さと湿気、ひきこもりの日々に疲れがちなこの時季、ときにはいつもと違った薬味をのせて冷奴を味わってみてはいかがでしょうか。

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参考資料など

『たべもの起源事典』(岡田哲編/東京堂出版)、『日本人の「食」、その知恵としきたり』(永山久夫/海竜社)、『七尾里山里海百景』(七尾市)