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沿線の笑顔をつなぐ  たび重なる震災・台風を乗り越えた三陸鉄道復興の歩み  #あれから私は

2021/03/07 05:28 ウェザーニュース

岩手県の太平洋沿岸を走る三陸鉄道(本社・宮古市)は、2011年3月11日の東日本大震災により、大きな被害を受けました。全線復旧は3年後の2014年4月。その後、2019年3月にJR山田線釜石~宮古間の移管を受けて、現在は盛(大船渡市)~久慈間163.0kmのリアス線を運行する、日本最長の第三セクター路線となりました。

ところがそのわずか半年後、今度は令和元年東日本台風(令和元年台風19号)により、再び長期の運休を余儀なくされたのです。

2度の大きな災害を経て、さらには新型コロナウイルス感染症の影響を受けながら、三陸鉄道は地元の大切な足として、日々運行を続けています。“さんてつ”復興の足取りと将来への展望についても、中村一郎社長にお聞きしました。

計317ヵ所の復旧を果たして3年ぶりに全線運行再開

震災から間もない5月、がれきだらけの旧田老駅周辺を走る三陸鉄道(2011年5月6日撮影)
2011年3月11日、東日本大震災による最大震度6弱(釜石以南、宮古以北は震度5弱)の揺れと津波により、海辺を走る三陸鉄道は壊滅的ともいえる被害を受けました。当時の三陸鉄道はJR山田線をはさんで北リアス線(宮古~久慈間)と南リアス線(盛~釜石間)に分かれていました。幸い乗員・乗客に被害はなかったものの、橋梁(きょうりょう)や駅施設の流失など、被害箇所は両線合わせて317ヵ所にも及びました。

「最も大変だったのは発災当初、被害情報が分からなかったことです。望月正彦前社長が社員と一緒に、津波の被害が想定される箇所を歩いて、状況把握に努めました」(中村社長)

その結果、北リアス線陸中野田~久慈間の被害が比較的軽微なものだったことが確認され、3月15日に若干の軌道整備を行い、試運転列車を運行。翌16日午前8時から「災害復興支援列車」として、3往復の無料運行を開始しました。

震災のわずか5日後、沿岸部の鉄道として最も早い運行再開は、沿線の人たちに大きな希望を与えたといいます。

「その後、沿線市町村や県に早期復旧したいという意向を示し、個別に回り了解を取り付けました。災害復旧へ国の全面支援についての要望活動も何度か行っています」(中村社長)

北リアス線は小本(おもと、現・岩泉小本)~田野畑間を除くと比較的被害が少なく、3月20日に宮古~田老(たろう)間、29日に田老~小本間、11月3日に野田玉川~陸中野田間、そして翌2012年4月1日には田野畑~陸中野田間と、復旧は着実に進められました。

被害が多かった南リアス線も2013年4月3日の盛~吉浜間を皮切りに、翌2014年4月5日に吉浜~釜石間の復旧により、全線で運行を再開。最後に残った北リアス線小本~田野畑間も4月6日に復旧工事を終え、三陸鉄道はほぼ3年ぶりに全線での運行再開を果たしたのです。
復旧後も通学などの地元の足として親しまれる(2014年3月18日撮影、写真/時事)
この間、三陸鉄道社員の懸命な努力はもちろん、外部組織による積極的な支援活動もなされました。JR東日本は盛岡車両センターで三陸鉄道車両の整備を代行。陸上自衛隊第9師団(司令部・青森市)も、隊員延べ2000人によるがれきの撤去など「三鉄の希望作戦」を実施しています。

「地元の皆さんから『三鉄に早く復旧してほしい』との声が寄せられたことや、全国の皆さんからさまざまな御支援が寄せられたことが大きな心の支えになりました」(中村社長)

2019年3月23日、壊滅的な被害を受けたJR山田線釜石~宮古間がJR東日本による復旧工事を終え、三陸鉄道に移管されました。南北リアス線と旧山田線は統合されてリアス線となり、“三陸縦貫鉄道”盛~久慈間163kmが一つの路線として再びつながったのです。

「地元はもとより、多くの皆さんがスタートを祝い、乗りに来てくださいました。お客様からは『首都圏の電車のような混み方だ』と言われるほどのにぎわいでした。

さらにラグビーワールドカップ、フィジー対ウルグアイの試合が、新たに整備された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムで、9月25日に開催されました。リアス線鵜住居駅に近いスタジアムなので、多くの皆さんが三鉄で試合を見に来てくださったのです」(中村社長)

「令和元年台風19号」による全線の7割不通から5ヵ月で再復旧

台風19号に襲われレールと枕木だけが宙づり状態となった三陸鉄道の線路(写真/三陸鉄道)
ところが、復興スタジアムでワールドカップの2試合目、ナミビア対カナダ戦が予定されていた2019年10月13日、台風19号が東日本全土を襲います。試合は中止。三陸鉄道も線路の路盤流出など合わせて93ヵ所が被災し、10月末の時点で全線の7割にあたる113.7kmが不通になってしまいます。

「震災の経験を踏まえ、すぐに被害状況の調査・把握に努めました。同時に、復旧工事を担う事業者の確保と復旧費を確保するため、県や国に復旧支援の要望活動にも何度か行きました。

一方で、翌2020年3月22日に東京オリンピックの聖火を『復興の火』として、三鉄の列車で宮古から釜石まで運ぶことが決まっていたのです。何としても、それに間に合うように復旧させるという方針を打ち出し、進めました」(中村社長)

2019年11月28日に津軽石~宮古間、12月28日に田老~田野畑間、2020年1月16日に陸中山田~津軽石間、2月1日に田野畑~普代(ふだい)間、そして3月14日に普代~久慈間と、順次復旧していきます。
全線運行再開記念列車を大漁旗を持って見送る地元住民(2020年3月20日撮影、写真/時事)
「復旧工事が完成したところから運行区間を延ばしていき、最後の運行再開区間が釜石~陸中山田間でした。2020年3月20日に全線運行再開記念列車を運行しました。

陸中山田駅で出発式を行いましたが、多くの地域の皆さんが大漁旗、小旗を振って祝ってくださった。リアス線開通時と同じような沿線の光景で、私も社員も改めて勇気づけられました」(中村社長)

リアス線の全線再開通は、台風による被災から5ヵ月後のことでした。

「震災から10年」の後も続く安全対策と活性化への取り組み

この10年間で三陸鉄道は、震災、台風と2度にわたる大きな災害に見舞われました。さらに新型コロナウイルス感染症の広がりによる打撃も受けています。

「2013年放映の、沿線を舞台にしたNHK連続テレビ小説『あまちゃん』効果や、翌2014年の全線運行再開効果で多くのお客様にご乗車頂きました。けれどもその後、徐々にお客様が減少していき、経営的には厳しい状況の中、県、市町村の支援も頂きながら、経営を続けていました。

2019年は、3月のリアス線全線開通で好調なスタートを切りましたが、10月の台風被害で厳しい結果になってしまいました。台風からの復旧が完了した2020年度ですが、新型コロナの影響で、観光を中心に団体客、個人客とも大幅に減少し、県から、特別の支援交付金により何とかしのいでいる状況です」(中村社長)

2020年度は4月、5月頃が「最も厳しい状況」だったそうです。秋には、「Go To トラベル事業」効果もあり、乗客が徐々に戻り始めてきたものの、12月の事業休止と2020年1月の緊急事態宣言の発出などもあり、「年間運賃収入は平年の5割強減少」と見込んでいます。 

そんな厳しい状況のなかでも、三陸鉄道は災害への備えを進めています。
津波対策として築堤に敷設された線路を走る三陸鉄道(写真/時事)
「ハード面では、施設を災害に少しでも強いものにする復旧工事に努めました。たとえば震災時に甫嶺(ほれい)駅は、築堤が防波堤の役割を果たして津波による内陸部の被害を最小限に食い止めたので、ほかのエリアでも高架だった線路の敷設を同種の構造で復旧しました。また、駅の位置を移設して避難路に直結するような形態とするなど、避難路の整備も行っています。

ソフト面では、毎年、災害を想定した避難訓練等を実施し、いざという時に、お客様の安全をしっかり確保できるように努めています」(中村社長)

東日本大震災から10年を迎え、この春には新たな取り組みを計画しています。

「震災時にはクウェートからの支援を頂き、車両の新造や駅舎の建設などを行うことができました。まず3月1日から1ヵ月間、その支援に感謝する列車を運行します。

3月11日には『3.11を語り継ぐ 感謝のリレー号』、翌12~16日には『光る絵本展in三陸鉄道』といった企画列車を運行する予定です。

4月からは東北DC(デスティネーション・キャンペーン)が予定されています。三鉄も連携しながら、夜行列車、プレミアムランチ列車、かいけつゾロリ列車などの運行により、多くのお客様に乗車頂ける取り組みを行います」(中村社長)

「10年目の3.11」後に向け、三陸鉄道の「沿線の笑顔をつなぐ」歩みは続けられています。
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