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古代日本ではアゲハチョウの幼虫、イモムシが神様だった⁉︎

2020/07/13 09:25 ウェザーニュース

夏に向かうにつれ、チョウを見かける機会が増えてきました。チョウといえば、アゲハチョウ(アゲハチョウ科)を思い起こす人も多いでしょう。アゲハチョウには、アゲハ、キアゲハ、クロアゲハ、オナガアゲハなどがあり、いずれも美しく優雅な姿を誇っています。

このアゲハチョウが、大昔の日本で神様として崇(あが)められていたことを知っているでしょうか。正確にいうと、アゲハチョウの幼虫であるイモムシ(芋虫)が神様だった可能性があるのです。

怪獣映画で有名な「モスラ」のように、イモムシは古代日本の人々から畏怖(いふ)されていたのでしょうか。

「常世の国」からやってきた「常世の神」

時は7世紀半ば、現在の山梨県や静岡県を流れる富士川のほとりで、人々の信心の対象になっていたものがありました。それは蚕(かいこ)に似た虫で、アゲハチョウの幼虫ではないかと考えられています。

この虫は、海のかなたにあると信じられていた国「常世の国(とこよのくに)」から来たと考えられ、「常世の神(とこよのかみ)」と呼ばれていました。そして、この虫を祀(まつ)れば、貧しい人は豊かになり、老いた人は若返るといわれました。

なぜこの虫が神になったのかは、よくわかっていないようです。もしかしたら、イモムシがサナギになり、いったん死んだようになったのち、チョウとして羽ばたく姿に、不老不死を重ねたのかもしれません。

『日本書紀』の中では、懲(こ)らしめられた神様

今からちょうど1300年前の720年に成立した『日本書紀』の「皇極紀」には、次の記述があります。

--太秦(うつまさ)は 神とも神と 聞え来る 常世の神を 打ち懲(きた)ますも

訳すと、次のような意味になります。

「太秦が神の中の神と伝え聞こえてくる常世の神を、打ち、懲らしめたよ」

はて、これはどういうことでしょうか。

新興宗教が人々の心をつかんだ!?

このころは、仏教もすでに日本に入り、神道とともに普及していました。そこに、常世の神という新たな神を祀る信仰がおこりました。これはいわば当時の新興宗教です。

当時は、人々が貧しいムラから豊かなムラに移るなどして、ムラのまとまりが悪くなったり、ムラの格差が広がったりしていました。

そうした中、この新興宗教は人々の心をとらえますが、常世の神を広めた人物、大生部多(おおうべのおお)は、人々に財産を捨てさせたり酒や食物を道端に並べさせたりしたとされます。

朝廷にとっては、困った存在だった⁉︎

7世紀半ばといえば、大化の改新のころで、富士川のほとりでおこった「常世の神」はやがて都にも広まっていきました。中央集権的な改革を進める朝廷にとって、常世の神はやっかいな存在になっていました。

そこで登場したのが太秦(秦河勝/はたのかわかつ)という人物です。先に見たように、太秦は常世の神を討ち、懲らしめたと、『日本書紀』(皇極紀)は記しています。

これはつまり、太秦(秦河勝)が大生部多を打ち負かし、常世の神信仰を終わらせたということでしょう。これ以降、人々がこの虫を神として崇めることはなくなったと考えられます。

とはいえ日本人は古来、山や川、木などの自然、オオカミやシカ、カラスなど動物に神性(しんせい)を感じてきました。「イモムシこそ神様だ」と思う人は、もはやいないでしょうが、自然を畏れ敬う気持ちを持つ人は今も少なくないでしょう。
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参考資料など

『ときめくチョウ図鑑』(写真・文/今森光彦、山と渓谷社)、『Jr.日本の歴史① 国のなりたち』(著者/田中史生ほか、小学館)