てるてる坊主は「金の鈴」と「あまいお酒」がお好き?
童謡『てるてる坊主』は3番まであります。前半の歌詞はいずれも、耳と目になじみ深い「てるてる坊主 てる坊主 あした天気に しておくれ」です。
1番の後半は「♪いつかの夢の 空のよに 晴れたら金(きん)の 鈴(すず)あげよ」、2番の後半は「♪私の願(ねがい)を 聞いたなら あまいお酒を たんと飲ましょ」となっています。「あした晴れたら、てるてる坊主に、金の鈴をあげるし、願いを聞いてくれたら、あまいお酒を飲ませてあげるよ」という内容です。
「金の鈴」や「あまいお酒」は、てるてる坊主にとっても、よいものなのでしょうね。
1番の後半は「♪いつかの夢の 空のよに 晴れたら金(きん)の 鈴(すず)あげよ」、2番の後半は「♪私の願(ねがい)を 聞いたなら あまいお酒を たんと飲ましょ」となっています。「あした晴れたら、てるてる坊主に、金の鈴をあげるし、願いを聞いてくれたら、あまいお酒を飲ませてあげるよ」という内容です。
「金の鈴」や「あまいお酒」は、てるてる坊主にとっても、よいものなのでしょうね。
曇りだったら、首をちょん切られる?
問題は3番の歌詞。「♪それでも曇って 泣いたなら そなたの首を チョンと切るぞ」とあるのです。この「泣いたなら」は「雨が降ったら」ということです。
これは穏やかな事態ではありませんね。特にこの歌が童謡であることを考えると、かなり違和感があります。
この3番の歌詞については、浅原の知人が浅原に尋ねたことがありました。どうして、このような歌詞にしたのか、と。
「子供というのは、トンボの首をはねたり、セミの羽をむしったり、カエルをいじめたり、そうした残酷なことをするから、かまわないよ」
浅原はそのように答えたそうです。
『てるてる坊主』が発表されたのは1921(大正10)年。現在とは違う価値観も、背景にはあったでしょう。
これは穏やかな事態ではありませんね。特にこの歌が童謡であることを考えると、かなり違和感があります。
この3番の歌詞については、浅原の知人が浅原に尋ねたことがありました。どうして、このような歌詞にしたのか、と。
「子供というのは、トンボの首をはねたり、セミの羽をむしったり、カエルをいじめたり、そうした残酷なことをするから、かまわないよ」
浅原はそのように答えたそうです。
『てるてる坊主』が発表されたのは1921(大正10)年。現在とは違う価値観も、背景にはあったでしょう。
「幻の1番」があった!
『てるてる坊主』には、実は「幻の1番」がありました。
そこには「もしも曇って 泣いてたら 空をながめて みんな泣こう」という歌詞が出てきます。
この歌詞が本来1番だったのですが、1923(大正12)年に楽譜を出版する際、削除されました。『てるてる坊主の歌』だった歌の題名も、このときに『てるてる坊主』に変えられています。
1番から「曇って泣いていたら(雨が降っていたら)、みんなで泣こう」では、なんだか調子が出ないと考え直したのか、この1番を削除して、2番以下が繰り上げられました。ただし、この判断を誰がしたのかは、わかっていません。
「そなたの首をチョンと切るぞ」がある、現在の3番を削除して、この「幻の1番」を3番にしてもよかったのでは!? と思う人もいそうですが、実際にはそうはならなかったのです。
そこには「もしも曇って 泣いてたら 空をながめて みんな泣こう」という歌詞が出てきます。
この歌詞が本来1番だったのですが、1923(大正12)年に楽譜を出版する際、削除されました。『てるてる坊主の歌』だった歌の題名も、このときに『てるてる坊主』に変えられています。
1番から「曇って泣いていたら(雨が降っていたら)、みんなで泣こう」では、なんだか調子が出ないと考え直したのか、この1番を削除して、2番以下が繰り上げられました。ただし、この判断を誰がしたのかは、わかっていません。
「そなたの首をチョンと切るぞ」がある、現在の3番を削除して、この「幻の1番」を3番にしてもよかったのでは!? と思う人もいそうですが、実際にはそうはならなかったのです。
ふるさとへの思いが『てるてる坊主』を生んだ
『てるてる坊主』の歌詞は、浅原が池田町を訪ねる前日に浮かんだといいます。
長野県松本市を散策していた浅原は、5歳まで過ごした生まれ故郷の池田町に行くにあたって、天気が気になったのです。「あしたは晴れてほしい」という思いが望郷の念と重なって、詞が浮かんだと、自伝に書いています。
大正、昭和、平成、そして令和と、時代は移り変わっても、人々が天候を気にかけて、ふるさとに思いを寄せる気持ちは変わらないのかもしれません。
長野県松本市を散策していた浅原は、5歳まで過ごした生まれ故郷の池田町に行くにあたって、天気が気になったのです。「あしたは晴れてほしい」という思いが望郷の念と重なって、詞が浮かんだと、自伝に書いています。
大正、昭和、平成、そして令和と、時代は移り変わっても、人々が天候を気にかけて、ふるさとに思いを寄せる気持ちは変わらないのかもしれません。
参考資料など
取材協力/浅原六朗文学記念館(てるてる坊主の館)館長 藤澤宜治さん