奈良時代は桜<梅だった!?
花見といえば、皆さんは何の花を見に行きますか?恐らくほとんどの人が「桜!」と答えるのではないでしょうか。しかし、花見といえば梅が当たり前!なんて時代もあったようですよ。
実は、奈良時代の花鑑賞といえば梅の花が一般的でした。
その証拠に、奈良時代に作成された万葉集を見ると、桜よりも梅を詠んだ歌のほうが多いんです。梅は約120首あるのに対し、桜は約40首。梅が随分人気だったことがわかります。
では、いつから花見には桜が一般的になったのでしょう?
実は、奈良時代の花鑑賞といえば梅の花が一般的でした。
その証拠に、奈良時代に作成された万葉集を見ると、桜よりも梅を詠んだ歌のほうが多いんです。梅は約120首あるのに対し、桜は約40首。梅が随分人気だったことがわかります。
では、いつから花見には桜が一般的になったのでしょう?
日本独自の文化が発展
花見に桜が愛でられるようになったのは、平安時代。平安時代に作られた古今和歌集では、梅を詠んだ歌が約30首に対し、桜を詠んだ歌が約60首。奈良時代とは違い、桜と梅の人気が逆転しています。
この背景には、遣唐使の廃止が関わっています。遣唐使が派遣されていた時は、中国文化の影響を強く受けていました。梅の花もその一つです。しかし、遣唐使が廃止されたことにより、日本独自の文化が発展し始めます。そのため、日本に古くから自生していた桜に注目が集まったわけです。
この背景には、遣唐使の廃止が関わっています。遣唐使が派遣されていた時は、中国文化の影響を強く受けていました。梅の花もその一つです。しかし、遣唐使が廃止されたことにより、日本独自の文化が発展し始めます。そのため、日本に古くから自生していた桜に注目が集まったわけです。
宴会型の花見は秀吉発信
平安時代までは花見といえば貴族の中での文化でしたが、鎌倉時代になると武士たちの間にも広がります。
さらに、安土桃山時代になると、花見の内容にも変化が起こり始めます。
今までは、庭にある桜の樹の下で、優雅に歌を詠むというような花見でした。しかし、この頃から桜の下で酒宴が行われるようになります。宴会型の花見は、かの有名な豊臣秀吉から始まったと言われています。秀吉は、今でも桜の名所として有名な醍醐寺に、大勢の人を招いて大規模な花見を開催しました。
現代の花見の原型は、この時代に形成されていたようです。
さらに、安土桃山時代になると、花見の内容にも変化が起こり始めます。
今までは、庭にある桜の樹の下で、優雅に歌を詠むというような花見でした。しかし、この頃から桜の下で酒宴が行われるようになります。宴会型の花見は、かの有名な豊臣秀吉から始まったと言われています。秀吉は、今でも桜の名所として有名な醍醐寺に、大勢の人を招いて大規模な花見を開催しました。
現代の花見の原型は、この時代に形成されていたようです。
農民と貴族文化の融合
貴族が梅を愛でることから始まった花見ですが、実は花見のルーツにはもう一つあります。
農民の間では、春になると、冬をもたらす山の神様を送り返し、春を呼ぶ田の神様を迎える「春行き」「春山入り」というものが行われていました。
具体的には、桜の下で持参した酒や食べ物を飲み食いして1日を過ごすというもの。その時、桜の色や開き具合いを見て、その年の豊作を占っていたとも言われています。農民の間ではこれが「花見」でした。
江戸時代になると、貴族発信の花見とこの農民発信の花見が、都市の庶民の間に広がりました。後に2つの花見は融合し、娯楽としての花見に形を変えて定着していったのです。
農民の間では、春になると、冬をもたらす山の神様を送り返し、春を呼ぶ田の神様を迎える「春行き」「春山入り」というものが行われていました。
具体的には、桜の下で持参した酒や食べ物を飲み食いして1日を過ごすというもの。その時、桜の色や開き具合いを見て、その年の豊作を占っていたとも言われています。農民の間ではこれが「花見」でした。
江戸時代になると、貴族発信の花見とこの農民発信の花見が、都市の庶民の間に広がりました。後に2つの花見は融合し、娯楽としての花見に形を変えて定着していったのです。
いかがでしたか?私たちが行っている花見というのは、長い歴史の中で、その時代やその文化に合うよう様々に形を変えて今に至ります。そう考えると、少し感慨深いものがありますね。
桜の下でどんちゃん騒ぎをするのも良いですが、花見の歴史的な背景やルーツに想いをはせながら、しっとりと桜を鑑賞するのも良いのではないでしょうか。
» 桜開花予想・見頃情報
» ウェザーニュース記事一覧
桜の下でどんちゃん騒ぎをするのも良いですが、花見の歴史的な背景やルーツに想いをはせながら、しっとりと桜を鑑賞するのも良いのではないでしょうか。
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参考資料など
【参考・参照元】
「はな物語」のお役立ちコラム「昔は桜より梅が人気?花見の歴史の知られざる変遷を紹介」https://www.hanamonogatari.com/blog/1201/
日々是活き生き暮らし歳時記「花見の歴史」https://www.i-nekko.jp/gyoji/2014-032713.html
白幡 洋三郎(2009)「招待エッセイ 花と緑から生まれた日本の文化」,『PREC study report / PREC Study Report編集委員会 編』14,p.4-7
彩時記 日本の四季を楽しむ、共感する「知っているようで知らなかったお花見の歴史」https://sai-jiki.jp/column/ohanami/history
環境共生住宅と美しい日本の風景-まちなみ考「『桜』から学ぶこと」https://www.kkj.or.jp/contents/event/spring06/spring01.html
「はな物語」のお役立ちコラム「昔は桜より梅が人気?花見の歴史の知られざる変遷を紹介」https://www.hanamonogatari.com/blog/1201/
日々是活き生き暮らし歳時記「花見の歴史」https://www.i-nekko.jp/gyoji/2014-032713.html
白幡 洋三郎(2009)「招待エッセイ 花と緑から生まれた日本の文化」,『PREC study report / PREC Study Report編集委員会 編』14,p.4-7
彩時記 日本の四季を楽しむ、共感する「知っているようで知らなかったお花見の歴史」https://sai-jiki.jp/column/ohanami/history
環境共生住宅と美しい日本の風景-まちなみ考「『桜』から学ぶこと」https://www.kkj.or.jp/contents/event/spring06/spring01.html