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平成史 生活① 平成5年 冷夏による米不足

2019/03/13 11:26 ウェザーニュース

30代半ば以上の人なら「平成の米騒動」を覚えているでしょう。平成5(1993)年、天候不順のため全国の作況指数(平年値が100)が74となり、当時1000万tのコメ需要に対し、収穫量が740万tと大幅に不足し、タイなどから緊急輸入する事態におちいったのです。

異例の梅雨明け宣言撤回!

平成5年は梅雨前線が長期間日本に停滞したことで、いったんは例年通り梅雨明け宣言が発表されたものの、8月下旬になって気象庁が沖縄県以外の梅雨明け宣言を撤回する異例の事態となりました。

また、梅雨から夏にかけては、暑さをもたらす太平洋高気圧が弱い一方、オホーツク高気圧の勢力が強く、日本付近には北からの冷たい空気が次々と流れ込みました。さらに、弱い太平洋高気圧の縁を回り込む形で次々と台風が接近し、当時としては1位の記録となる年間6個の台風が上陸。農作物への影響が大きなものとなりました。

当時は馴染みがなかったタイ米

米不足を解消するために政府は米を緊急輸入しました。当初は日本人の味覚に合ったジャポニカ米の米国産米や中国産米をメインに考えていましたが輸入量が揃わず、結局、輸入米の大半はタイ政府が備蓄していたインディカ米のタイ米でした。

今でこそタイ料理店でカレーに合う米として知られるタイ米ですが、当時はタイ米にあまり馴染みがなく不評でした。国産米と抱き合わせで販売されたタイ米が不法投棄されたり、家畜の飼料にされることも少なくありませんでした。また、タイ米を輸出したタイ国内では米の価格が高騰し、貧困層に餓死者も出るなどして、日本でのタイ米の大量放棄はタイ国内で非難されました。

翌年の大豊作で米騒動が終息

米騒動は翌年の夏まで続きましたが、早場米が収穫されると終息しました。平成6(1994)年の作況指数は109、収穫量は1200万tと一転して大豊作となりました。

なお、平成の米騒動から4半世紀たった昨年の米の収穫量(主食用)は733万t。米騒動のときを下回る収穫量ですが、問題が起こらないのは1人当たり米の年間消費量が70kgから54kgに減少したためです。

2019年4月30日で「平成」が終わります。ウェザーニュースでは、平成30年間に起こった気象や災害などを、過去の資料などをもとに連日振り返っていきます。
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