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【夏を乗りきる食材】トウガラシのルーツはどこにある?

2018/08/23 10:35 ウェザーニュース

カレーライス、キムチ、担々麺、トムヤムクン……暑いときには、こうした辛いものを食べたくなる人も多いでしょう。

辛い食べ物の多くに、トウガラシが使われています。トウガラシの種類は非常に多く、ピーマンやパプリカなどの甘トウガラシを含めると、世界に数千種類あるといわれます。

さて、そのトウガラシはどこで生まれ、いつどのように日本に伝えられたのでしょうか。

紀元前8000年に栽培されていたトウガラシ

トウガラシの歴史はたいへん古く、南米ペルーの山岳地帯では、紀元前8000~7500年前に、トウガラシが栽培されていたと考えられています。中米のメキシコでも、紀元前7000年頃という太古から利用されていました。

中南米原産のトウガラシが世界中に広まるきっかけは、大航海時代にあります。

1492年、コロンブス一行は西インド諸島のサンサルバドル島に到着します。そこで彼らは、タバコやトウモロコシ、サツマイモ、カボチャなどとともに、トウガラシに初めて出合ったのです。いわば「ヨーロッパ人とトウガラシの邂逅(かいこう)」ですね。

1493年にスペインに持ち帰られたトウガラシは16世紀半ばには、スペイン各地で栽培されるようになりました。

トウガラシは豊臣秀吉が朝鮮に伝えた?

カレーにトウガラシが加えられるのは16〜17世紀頃といわれている
さて、その後、トウガラシは世界各地にどのように伝えられたのでしょうか。

たとえば、カレーライスのカレーにはトウガラシが含まれていますが、インドのカレーにトウガラシが加えられるようになったのは、16~17世紀のことといわれます。それ以前のインドにはトウガラシは存在しなかったため、加えようがなかったのです。ということは、昔のインドカレーは辛くなかったのでしょうね。

では、トウガラシは日本にはいつどのように入ってきたのでしょうか。

「トウガラシは16世紀半ばにポルトガル人によって日本に持ち込まれ、16世紀末頃の豊臣秀吉の朝鮮出兵によって、日本から朝鮮に伝えられた」

このように理解している人もいるかもしれませんが、この説は定説ではなく、一つの説にすぎません。

これとは反対に、秀吉の朝鮮出兵のおり、朝鮮から日本に持ち帰ったとする説もあるのだから、ややこしい限りです。

「唐辛子」「南蛮」「高麗胡椒」の意味

トウガラシは、漢字では「唐辛子」などと書きます。「唐」には昔の中国の国名などの意味もありますが、ここでは「外国」の意味でとらえたほうがよいでしょう。ということは、外国から伝わった辛子の意味になります。

また、トウガラシを「南蛮」と言うこともあります。南蛮はポルトガルやスペイン、あるいは、ルソン島など東南アジアの諸地域のこと。ということは、トウガラシはこれらの地域と何らかの関係がありそうです。

さらに、トウガラシを「高麗胡椒(こうらいこしょう)」と呼ぶこともあります。「高麗」は朝鮮のかつての王朝で、江戸時代前期の儒学者で本草学者の貝原益軒は著書『花譜(かふ)』で、トウガラシは高麗、つまり朝鮮半島から伝わったと記しています。益軒のこの記述が、トウガラシが朝鮮から伝来した説の根拠の一つになっています。

このように、トウガラシが世界各地にどのように広まっていったかについては諸説あり、不明な点が多いのが実情です。

トウガラシの歴史についてはわからないことが多いですが、トウガラシの辛さが食欲を刺激することは確か。猛暑続きで、グッタリしている人は、トウガラシ入りのピリ辛料理にパワーをもらってみてはどうでしょうか。

参考資料など

『トウガラシの世界史』(山本紀夫、中公新書)、『辣(ラー)の道 トウガラシ2500キロの旅』(加藤千洋、平凡社)、『とうがらし』(コウケンテツ、講談社)、グリコカレー「カレーのおはなし」(http://cp.glico.jp/story/curry/index.html)