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[W杯ヒストリー]史上最大級の番狂わせは、悪天候がもたらした

2018/07/18 13:28 ウェザーニュース

ワールドカップ(W杯)史上最も魅力的なチームはどこでしょう。多彩なポジション・チェンジを繰り返すトータル・フットボールと呼ばれた革新的なサッカーで、1974年大会で準優勝のオランダ代表や、“ティキ・タカ”と呼ばれるテンポの良いパス回しで観衆を魅了した2010年大会のスペイン代表を挙げる人は多いかもしれません。

4年間無敗だったハンガリー

こうした一連の攻撃的なサッカーの変遷は、あるチームを源泉としています。1950年代に、その圧倒的な強さで「マジック・マジャール(魔法のハンガリー人)」と称されたハンガリー代表です。前方の5人、後方の5人がそれぞれWとMの形を形成し、選手間の巧みなポジション・チェンジで相手を錯乱し、素早くパスを交換しながら崩していくサッカーは、オランダやスペインが実践してきた近代サッカーの原型といえるでしょう。

近年では1986年大会以来、W杯に久しく出場していないハンガリーですが、1952年には圧倒的な強さでヘルシンキ・オリンピック優勝に輝き、翌年にサッカーの聖地ウェンブリー・スタジアム(ロンドン)で負けなしだったイングランドに6-3で圧勝。1950年から54年までの間、4年間無敗(国際試合32戦28勝4分)という驚異的な記録を打ち立てた、世界有数の強豪国でした。

1954年のスイス大会でハンガリーは、優勝候補筆頭、というよりもほとんど優勝が確実視されるほどの実力を有していましたが、決勝戦で西ドイツに敗れてしまいます。のちに「ベルンの奇跡」と呼ばれる、W杯史上最大級の番狂わせが起きた原因のひとつは、準々決勝、準決勝、決勝と3試合連続でハンガリーの試合のピッチに降り注いだ雨だといわれています。

土砂降りの雨が演出した「ベルンの死闘」

土砂降りのなかで行われた準々決勝のブラジル戦は、後に「ベルンの死闘」と呼ばれるほどの激しい試合でした。雨のせいで自慢のパスワークが封じられたブラジルはいら立ちを募らせ、ピッチ上では両チーム入り乱れての乱闘が繰り広げられました。

ハンガリーは延長戦の末に4-2で勝利しましたが、ファウル数は両チーム合わせて42回に上り、3人の退場者が出て、一部選手はひどく流血する事態となり、警官隊が動員されるという、凄惨な試合になりました。

ハンガリーの準決勝の相手は1950年大会王者のウルグアイでした。この試合でもピッチに雨が降り注ぎ、ハンガリーは延長戦の末にウルグアイを4-2で退けましたが、度重なる悪天候下の延長戦に、試合を終えた選手たちは疲れ切っていました。それでも決勝の相手である西ドイツは、ブラジルやウルグアイに比べて劣る相手と見なされており、ハンガリーの優勝を疑う人は多くありませんでした。

一方、西ドイツは1次リーグでハンガリーと対戦して3-8で大敗したものの、それは主力を温存させた上での結果でした。むしろその試合で相手の手の内を知ることができ、さらにこの試合に敗れた結果、決勝トーナメントではブラジルやウルグアイという強豪ではなく、準々決勝でユーゴスラビア、準決勝でオーストリアという比較的くみしやすい対戦相手に恵まれたのです。

西ドイツの司令塔「ヴァルターの天気」とは?

迎えた決勝戦、「西ドイツに勝機はあるか」とマスコミに問われた西ドイツのゼップ・ヘルベルガー監督は、「雨が降れば、我々にもチャンスがある」と答えました。

理由のひとつが、主将であり、チームの司令塔であるフリッツ・ヴァルターが、雨のピッチで見違えるような好プレーを見せるからでした。今でもドイツでは雨の天候を「ヴァルターの天気」と呼ぶことがあるそうです。そして、もうひとつの理由が、靴職人アドルフ(愛称アディ)・ダスラーが考案した、世界で初めて天候に合わせてスタッド(靴底にある突起)が交換できるスパイクでした。

決勝当日、スイスの首都ベルンのヴァンクドルフ競技場は雨模様でした。満身創痍のなか、エースのフェレンツ・プスカシュが復帰したハンガリーは彼のゴールなどで前半8分の間に2点を先取しましたが、ここから西ドイツの反撃に遭い、前半を2-2で折り返します。そしてハーフタイムで西ドイツのイレブンは、雨のピッチに合わせて、スパイクを長めのスタッドに交換したのです。

ピッチに足を滑らせて転倒するハンガリーの選手たちに対して、西ドイツの選手たちの足元は最後まで安定していました。84分、ハンガリーのGKグロシチ・ジュラがぬかるみに足をとられた隙に、西ドイツのFWヘルムート・ラーンがゴールを挙げ、西ドイツが3-2で逆転勝利を収めました。これが西ドイツにとって初めてのW杯トロフィー獲得となりました。

「マジック・マジャール」の解体

この優勝は第二次世界大戦の敗北に沈んでいた東西ドイツを大いに勇気づける結果となり、ドイツは東西統一後も世界有数のサッカー強豪国に進化して現在に至ります。同様に、アドルフの作ったスパイクも名声を高め、彼の名にちなんで創業されたアディダス社は、世界的なシューズ・メーカーに成長していきました。

一方の「マジック・マジャール」は、その後の2年間も変わらぬ強さを発揮していましたが、1956年にブダペストで起きたハンガリー動乱(民衆による反ソ暴動)によりプスカシュら主力選手たちは次々と外国に亡命して、事実上の解体となりました。

「ボールは丸い。そして試合はたったの90分間だ」と、ヘルベルガー監督は言いました。サッカーは何が起こるかわからないスポーツです。天候が勝敗を分け、その後の歴史を動かしたとしても、それは驚きに値することではないのかもしれません。

文:志原卓(サッカーライター)