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【1994年W杯アメリカ大会】猛暑の犠牲になった2つの国

2018/07/10 15:48 ウェザーニュース

1930年にウルグアイで第1回大会が開催されて以来、ワールドカップ(W杯)は毎回5月の終わり〜7月の間に行われてきました。北半球はもちろん夏。南半球は冬にあたりますが、ブラジル北部のように季節に関係なく蒸し暑い地域もあります。

2022年のカタール大会では室内スタジアムにエアコンを完備することにより対応可能とされていましたが、莫大な費用がかかるとしてその案は取り下げられ、11〜12月に開催されることが決まりました。

給水タイムが認められたブラジル大会

主催者であるFIFAも近年、様々な暑さ対策を講じてきました。2014年ブラジル大会からは31℃以上の気象下では給水タイムが認められ、実際に気温32℃、湿度68%を記録した決勝トーナメント1回戦のオランダ対メキシコ戦で前後半に3分ずつ実施されました。

さらにロシア大会では、延長戦に突入した場合、4人目の交代を認められるというルール変更が行われました。

真昼間の試合となったアメリカ大会

炎天下で、選手がクタクタになるまでプレーした過酷な大会として、人々の記憶に残るのは、初めてヨーロッパと南米以外での開催となった1994年のアメリカ大会でしょう。この大会では、ヨーロッパの人たちがテレビを見やすい時間帯に合わせて、真昼に多くの試合が行われました。

この大会で猛暑の犠牲になったチームのひとつが、1990年大会の王者であり、ベルリンの壁の崩壊により統一ドイツとして初めてW杯に参加したドイツ代表でした。

主将のローター・マテウス、この後にJリーグの浦和レッズで活躍するギド・ブッフバルト、当時、史上最高峰といわれたイタリアのセリエAでゴールを量産していたユルゲン・クリンスマンら西ドイツのタレントに加え、96年に欧州最優秀選手(バロンドール受賞者)に輝くマティアス・ザマーら東ドイツの実力者が加わり、当然のように優勝候補に挙げられました。

しかし、主力の多くが年齢的に20代後半から30代に差しかかっていて、スタミナに不安を残しており、グループリーグの韓国戦では、前半に3点を先取しながらも、後半に2点を返され、逆転されてもおかしくないゲームを演じました。

そして、ベスト8ではW杯初出場の伏兵ブルガリアに逆転負けを喫してしまい、82年スペイン大会から歴代最多の3大会連続で決勝戦に進出していた強豪が、あっさりと大会を去ることになったのです。ニューヨーク郊外のジャイアンツ・スタジアムで起きたジャイアント・キリングは、世界中に衝撃を与えました。

決勝進出のイタリアも猛暑の犠牲に

決勝まで勝ち進んだイタリアも、満身創痍の状態でブラジルとの決戦に臨み、優勝を逃しました。イタリアは、グループリーグから気温の高い東部の都市を中心に戦い、初戦でつまずきながらも、選手を入れ替えながら、しぶとく勝ち上がりました。

しかし、決勝戦では、比較的涼しいアメリカ西部で戦っていたブラジル相手に延長戦に持ち込んだものの、終盤は防戦一方の展開となり、ゴールこそ割らせませんでしたが、最終的にはPK戦でフランコ・バレージとロベルト・バッジョという攻守の看板選手たちがキックを失敗してしまいました。

PK戦は運の要素が強いとはいえ、明らかに疲労の色が濃かったのはイタリアの方でした。その証拠に、イタリア代表の主力だったミランの選手たちは新シーズンに突入してもコンディションに問題を抱え、過去リーグ3連覇を達成していたクラブがまさかの4位でシーズンを終えることになったのです。

文:志原卓(サッカーライター)