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唱歌『春の小川』の場所を知っていますか?

2018/04/16 14:51 ウェザーニュース

♪春の小川は、さらさら行くよ。
 岸のすみれや、れんげの花に、
 すがたやさしく、色うつくしく
 咲けよ咲けよと、ささやきながら。

 春の小川は、さらさら行くよ。
 えびやめだかや、小鮒の群れに、
 今日も一日ひなたでおよぎ、
 遊べ遊べと、ささやきながら。

この歌を知っている人は多いですよね。思わず口ずさんでしまう人もいるのでは!? 歌の名前は『春の小川』で、作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一。1912(大正元)年に発表された唱歌です。

『春の小川』は2回改変された

歌詞は1942(昭和17)年と1947(昭和22)年の2回、改変されていて、上の歌詞は1947年に改変されたものです。オリジナル作品の一番は以下のとおりです。

♪春の小川はさらさら流る。
 岸のすみれやれんげの花に、
 匂いめでたく、色うつくしく
 咲けよ咲けよと、ささやく如く。

改変後の歌詞に比べて、文語調であることがわかりますね。

『春の小川』の舞台は東京都渋谷区!?

この「さらさら行く(さらさら流る)」春の小川の場所は、いったいどこなのでしょうか。確定している説はありませんが、一般的には現在の東京都渋谷区代々木界隈といわれます。
小田急線代々木八幡駅付近にある『春の小川』歌碑 撮影=Kamemaru2000
というのも、この歌を作詞した当時の高野は、今の代々木3丁目3番に住んでいて、その近くには河骨川(こうほねがわ)という小さな川が流れていたからです。1912年当時、ここは東京府豊多摩郡代々幡村(とよたまぐんよよはたむら)で、のどかな村だったようです。

河骨川の「河骨」とは、小川や池沼(ちしょう)に自生するスイレン科の多年草です。高野が住んでいたころの河骨川には、河骨が生い茂っていたのでしょう。
夏に黄色い花をつける「河骨」
高野が住んでいた付近は現在、住宅地になっています。近くには小田急線が通っていて、高野の住居は南新宿駅と参宮橋駅の間くらいにありました。ターミナルの新宿駅からも、さほど遠くない場所です。

100年余り経って、風景は様変わりしました。特に大きな分岐点になったのは、1964(昭和39)年の東京オリンピックでした。

「きれいな小川」は復活できるか

劇的に変わったのは、河骨川やその下流の宇田川(うだがわ)、さらに渋谷川が暗渠(あんきょ)になったことです。河骨川、宇田川、渋谷川は今、道路などで蓋がされていて、かつて川だったところは下水道として使われています。

しかし、「以前のきれいでのどかな風景を取り戻したい」という声もあります。

下水道として使っているところを元の川に戻すのは難しいですが、東急電鉄は「渋谷川を再生し、特徴ある魅力的な都市環境をつくる」事業に着手。川沿いに新たな水辺空間を創出する再生計画を進めています。

少しでも『春の小川』の風情を現代の大都会で味わえるのなら、期待したい構想ですね。

参考資料など

取材協力/白根記念渋谷区郷土博物館・文学館

参考/東急電鉄HP(http://www.tokyu.co.jp/shibuya-redevelopment/index.html)
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