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【日本三大桜】「1000年」超えの老木を回復させた3つの物語

2019/04/04 08:54 ウェザーニュース

「日本三大桜」を知っていますか? 三春滝桜(福島県)、山高神代桜(山梨県)、根尾谷淡墨桜(岐阜県)の3本の桜を指します。

いずれも1000年を超える樹齢、圧倒的な貫禄、見事な咲きぶりで知られています。いずれも一時は樹勢が衰えていましたが、地元の人々が回復させようと様々な取り組みをした結果、見事に復活したのです。

一時は花が白くなった三春滝桜

三春滝桜
三春滝桜は樹齢1000年を超え、樹高12mに枝張りは直径20mに及ぶベニシダレザクラの巨樹ですが、「30年ほど前に樹勢が衰え、花が白くなったので土壌改良に取り組みました」と三春町歴史民俗資料館の山口晋さんが語ります。

「根元の土が固くなっていたので掘り起こして軟らかくし、地中に空気を送るため管を数本垂直に差し、半径10mを柵で囲って立ち入り禁止にしました」

このほか山の葉を使った完熟堆肥を使ったところ、樹勢は徐々に勢いを回復し、花も本来の紅色を取り戻して毎年30万人の花見客が訪れる一大名所になりました。しかし……。

「7年前の東日本大震災で滝桜は無事でしたが、福島第一原発事故のため花見客が15万人に半減しました。昨年は27万人に増えましたが、団体客が戻っていないので震災前を割り込んでいます」

保存会が年4回の草刈りを行い、小学生たちがゴミ拾いを行うなど地元に愛されている滝桜です。

4年がかりで土壌改良した神代桜

神代桜
樹齢が1800年とも2000年ともいわれるエドヒガンザクラ、山高神代桜の幹周りは11.8mで日本一巨大な桜。毎年10万人の花見客が訪れるそうです。大正時代から手厚く保護されてきましたが、樹勢が衰えたことから、16年前に武川村(2004年に合併して北杜市)が樹勢回復事業をスタートさせます。北杜市教育委員会教育部学術科の杉本充さんが語ります。

「それまで幹を覆っていた屋根は土を乾燥させるので取り外し、毎年盛っていた土は固まって桜を窒息状態にしていたので土壌改良を行いました。一度に土を入れ替えると環境が変わりすぎるため、幹を中心に8等分して、毎年、対角線上に向き合う2ヵ所ずつ土と肥料を入れる方法で4年かけました」

このほか木の近くを通っていた車道を迂回させ、半径10mに柵を設けるなどして、「人間でいえばCTスキャン検査」(杉本さん)を行ったところ、根が伸びているのが確認できたそうです。

「この2、3年は花の付きがよいです。枯れる枝もありますが、新しく伸びてくる枝もあります。あと1000年はもってほしいですね」

根を接木して生き返った淡墨桜

淡墨桜
樹齢1500年以上といわれるエドヒガンザクラの根尾谷淡墨桜。つぼみのときは淡いピンク、満開になると白色、散りぎわには淡い墨色になることから命名されました。大正時代に大雪で幹に亀裂が入ったことで樹勢が衰え始め、戦後になって花が咲かなくなり、1948年には文部省(当時)の調査で「3年以内に枯死」と宣告されました。

しかし、その翌年(1949年)、歯科医師の前田利行が根を接木したところ、次の年(1950年)に見事再生し、花を咲かせます。盆栽が趣味だった前田は、根を接木するなど古木の再生技術を開発していたのです。

その後も伊勢湾台風(1959年)で太い枝が折れ、小枝や葉はほとんどもぎ取られるなど、淡墨桜は苦難の道を歩みます。

作家の宇野千代は評論家の小林秀雄からこの話を聞くと、根尾村に「駆け出した」と述懐しています。当時70歳の千代は淡墨桜に自分を重ね合わせたのかもしれません。千代はこれらの経過を紹介して保護を訴え、後に小説『淡墨の桜』を書いています。

当時の岐阜県知事はこれに応え、県文化財審議会に保護を指示します。その後も老木を守るために幾度も施術が行われ、毎年花を咲かせ、淡墨の花びらを散らせています。