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お花見と日本人─花見の3要素 〈群桜〉〈飲食〉〈群集〉

2018/03/29 13:28 ウェザーニュース

 他の国に例をみないお花見のスタイルから、日本人独自の歴史や精神性が見えてくる……。奈良時代の貴族の間では梅を愛でる文化があった。それが平安時代になると“日本らしさ”に関心が集まり、花の代表が日本土着の桜へと変わる。

 千年以上も続く花見文化を、国際日本文化研究センターの白幡洋三郎名誉教授がひもとく。
花見をする人たちでにぎわ う東京・台東区の上野公園。 この夜の人出は70万人(午後8時現在)とにぎわった。 撮影日1975年4月5日
 花を愛で楽しむ行為は世界中にみられる。飲食を共にする共食の習慣も各地にある。

 何かの行事で人々が一個所に大勢集まることも世界中にみられる。しかしこの3つがまとまって同時に(しかも全国で)行われるのは日本以外の地域にはない。日本にしかないその行為とは何か。……花見である。

 「群桜」「飲食」「群集」。花見の3要素と私が名づけたこの三つが同時に成立するユニークな行事が日本の「花見」であり、日本以外ではどこにもみられない。

 植物学上のサクラ、バラ科サクラ属なら北半球の温帯地域に広く分布している。しかし花見の習慣は世界のどこにもみられない。長年にわたって花の咲く頃に世界の各地で観察を行ってきた末に(各国人へのインタビューやアンケートも加えて)到達した結論である。海外で唯一、日本とよく似た花見が行われているブラジルにしても日系人が中心であり、もともと日本の習慣として持ち込まれたものである。

 桜の開花を契機に、群れ集まって共食する基本的な行為は、昔も今もかわりはない。日本人は千年以上にわたって花見を続けてきた。
なぜこれほど長い時代にわたって日本人は花見を続けてきたのか。
「東都名所・御殿山花見(品川全図)」歌川広重(一立斎広重)/国立国会図書館所蔵
 花見には2つのルーツがある。貴族の花見と農民の花見である。
奈良時代の貴族は、はじめ中国から伝わった梅の花を愛でる梅の宴を行っていた。それが平安時代になると日本土着の桜の花に関心を向けるようになり、桜の宴が盛ん
になって、ついに桜が花見を代表する「花」になった。

 一方、農民のあいだには春、桜の咲く頃に酒や食べ物を持って付近の小高い丘や山に登り、花のもとで飲み食いをして一日を過ごす行事があった。これは冬を支配していた神を山に送り帰し、田の神を里に招く行事であるが、同時に花の咲き具合によって稲の出来具合を占う農耕儀礼としての「花見」であった。

 貴族文化と農民文化の2つが結びつき、江戸時代に至って都市の庶民の楽しみとして広く定着した。江戸中期以降に普及してゆく花見には、身分の違いを超えた性格が備わっている。それは権威・権力とは縁遠い、各階層にわたって共通する民衆娯楽としての性格である。とくに都市江戸の郊外で広く行われるようになった「江戸の花見」は、大衆的性格が顕著になってゆく。
愛知県一宮市 木曽川堤(2018-03-25撮影)
 現代につながる大衆的花見が本格的に成立したのは江戸中期(元禄から享保期にかけて)である。

 そして、過去の性格を引き継いだ花見がいまも行われていることの中に、他の社会とは違う日本社会の独自の性格があらわれていると考えられる。

 花見は千年以上の歴史を超えて現代に生きる日本文化なのである。

参考資料など

文=白幡洋三郎(国際日本文化研究センター名誉教授)
季刊そら2012年春号 特集:桜をめぐる3つの謎
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