江戸の初期から名所だった上野
江戸で最初にお花見の名所となったのが上野です。当時は徳川家の菩提寺であった寛永寺の境内に、3代将軍の家光(在職:1623〜51年)が奈良県吉野から運んだ山桜を植えさせました。
上の錦絵は歌川広重(1797〜1858年)作なので江戸後期の光景と思われますが、着飾った女性たちが満開の桜の下をそぞろ歩きしています。背景に見えるお堂は清水観音堂。
上の錦絵は歌川広重(1797〜1858年)作なので江戸後期の光景と思われますが、着飾った女性たちが満開の桜の下をそぞろ歩きしています。背景に見えるお堂は清水観音堂。
上の錦絵は同じ上野の不忍池です。やはり広重作で、池のほとりの桜は咲きそろい、飲食させる小屋も出ていますが、先の錦絵と同様に敷物を敷いて宴会する人たちはいません。
上野のお花見は、飲めや歌えの大騒ぎが続いたため、一時禁止されたことがあったといいますが、広重の描いた錦絵はその頃の光景だったかもしれません。
上野のお花見は、飲めや歌えの大騒ぎが続いたため、一時禁止されたことがあったといいますが、広重の描いた錦絵はその頃の光景だったかもしれません。
川から眺めるお花見も
上の錦絵は隅田川のお花見です。隅田川堤には桜が植えられました。お花見を楽しめるだけでなく、多くの花見客が堤を踏み固めることで、梅雨どきの増水期にも耐えられたとか。
隅田川の堤にも花見客が大勢描かれていますが、屋形船からお花見を楽しむ人もいます。いわゆる船遊びですね。
隅田川の堤にも花見客が大勢描かれていますが、屋形船からお花見を楽しむ人もいます。いわゆる船遊びですね。
飛鳥山では「師匠の花見」
江戸時代には、手習塾(寺子屋)の師匠が弟子たちを引き連れて花見をすることがありました。この一行は、揃いの日傘や手拭いで着飾っています。
これは「師匠の花見」と呼ばれ、塾の宣伝を兼ねていたと言われます。歌や踊りの師匠、俳諧の宗匠なども弟子たちと徒党を組んで花見に繰り出しました。
これは「師匠の花見」と呼ばれ、塾の宣伝を兼ねていたと言われます。歌や踊りの師匠、俳諧の宗匠なども弟子たちと徒党を組んで花見に繰り出しました。
飛鳥山もお花見の名所に
飛鳥山(北区)に桜が植えられたのは8代将軍吉宗(在職:1716〜1745年)の頃。江戸城内の桜の苗木を移植したと伝えられています。
上の錦絵は、その飛鳥山で飲食を楽しんでいる花見客に気づかず、目が不自由な按摩さんがゴザの上の重箱や皿をひっくり返すという滑稽画です。勘のいい按摩さんも花見に浮かれていたのでしょうか。
上の錦絵は、その飛鳥山で飲食を楽しんでいる花見客に気づかず、目が不自由な按摩さんがゴザの上の重箱や皿をひっくり返すという滑稽画です。勘のいい按摩さんも花見に浮かれていたのでしょうか。
上の錦絵は、詠んだ歌を書いた短冊を桜の枝に結ぶ芸妓さんでしょうか。踏み台代りに四つん這いになって背中を貸す男はどこか嬉しそうです。美人画が得意な渓斎英泉(1791〜1848年)は滑稽画も好んでいたようです。
江戸時代、お花見は一大イベントだったようです。あなたは今年、どんなお花見をしますか?
江戸時代、お花見は一大イベントだったようです。あなたは今年、どんなお花見をしますか?
参考資料など
錦絵:国立国会図書館提供
