松島基地は冠水し基地機能を喪失
東日本大震災が発生した3月11日、翌日に予定されていた九州新幹線全線開通記念の展示飛行をするためブルーインパルスは福岡県の芦屋基地にいました。そのため被災を免れましたが、九州新幹線全線開通記念の行事は全て中止になりました。
一方、ブルーインパルスが所属する松島基地は、2mを超える津波に襲われ、駐機場と格納庫に駐機していた戦闘機、練習機、救難機など28機すべてが水没しました。その中には芦屋基地に展開していなかったブルーインパルスの1機(T-4)も含まれていました。冠水のため基地機能も喪失しましたが、基地で勤務していた隊員約900名は建物屋上に避難して全員無事でした。
一方、ブルーインパルスが所属する松島基地は、2mを超える津波に襲われ、駐機場と格納庫に駐機していた戦闘機、練習機、救難機など28機すべてが水没しました。その中には芦屋基地に展開していなかったブルーインパルスの1機(T-4)も含まれていました。冠水のため基地機能も喪失しましたが、基地で勤務していた隊員約900名は建物屋上に避難して全員無事でした。
輸送機やバスを乗り継いで帰隊
ブルーインパルスのパイロットらクルーの30名余が芦屋基地に機体を残し、輸送機やバスを乗り継いで松島基地に帰隊したのは震災発生から3日後。
松島基地がある東松島市は、死者1132名(災害関連死66名含む)、行方不明者23名、全壊5519棟、半壊5558戸という甚大な被害を受けていました(2018年2月28日現在)。ブルーインパルスの隊員も家族が被災していましたが、被災住民のために炊き出しや給水などに励みました。
松島基地がある東松島市は、死者1132名(災害関連死66名含む)、行方不明者23名、全壊5519棟、半壊5558戸という甚大な被害を受けていました(2018年2月28日現在)。ブルーインパルスの隊員も家族が被災していましたが、被災住民のために炊き出しや給水などに励みました。
復旧した松島基地は輸送拠点に
松島基地は重機も流されていたため、人力のみにより震災発生から3日で滑走路を使える状態にし、救援物資の輸送拠点として活動しました。
当時の松島基地の隊員たちは物資輸送、行方不明者捜索、流失物の回収・撤去、炊き出し支援など、できることはなんでもやりました。ブルーインパルスのパイロットが保育園を慰問したという記録も残っています。
当時の松島基地の隊員たちは物資輸送、行方不明者捜索、流失物の回収・撤去、炊き出し支援など、できることはなんでもやりました。ブルーインパルスのパイロットが保育園を慰問したという記録も残っています。
2ヵ月後、芦屋基地で訓練再開
ブルーインパルスのクルーが機体を残した芦屋基地に移動して訓練を再開したのは、震災発生から2ヵ月余りたった5月23日。長期間、操縦桿を握らなかったので、飛行感覚を取り戻すため、技量回復に励むことになりました。
この頃のブルーインパルスを記録したドキュメンタリー映画『絆-再びの空へ』によると、被災地の過酷な現実を体験した隊員たちは「飛ぶことが復興につながるのか?」「本当に自分たちは飛んでいいのか?」と葛藤を抱えていたといいます。
この頃のブルーインパルスを記録したドキュメンタリー映画『絆-再びの空へ』によると、被災地の過酷な現実を体験した隊員たちは「飛ぶことが復興につながるのか?」「本当に自分たちは飛んでいいのか?」と葛藤を抱えていたといいます。
久しぶりの展示飛行に大歓声
その年の8月20日、東松島市で復興を願って「ありがとう!東松島元気フェスタ」が開かれ、ブルーインパルスもこのイベントに参加することにしました。救難機以外の音がしなくなった町で、震災前と同じようにブルーインパルスが飛ぶ姿を見ようと予想を超える人が集まりました。
震災から5ヵ月余り、三沢基地(青森県)を飛び立った6機のブルーインパルスが轟音を響かせながら姿を表すと、集まった人たちは空を見上げ、大歓声をあげました。彼らにとってブルーインパルスは、復興の象徴だったのです。
震災から5ヵ月余り、三沢基地(青森県)を飛び立った6機のブルーインパルスが轟音を響かせながら姿を表すと、集まった人たちは空を見上げ、大歓声をあげました。彼らにとってブルーインパルスは、復興の象徴だったのです。
復興の象徴となったブルーインパルス
芦屋基地を拠点にブルーインパルスは各地の航空祭などで展示飛行を行いました。松島基地に所属しながら奇跡的に被災を免れ、力強く空を舞い飛ぶブルーインパルスは、どこでも東日本大震災からの復興の象徴でした。
一方、松島基地の復旧は進み、2012年度内にブルーインパルスが帰還することになりました。2013年3月25日には芦屋基地で「ブルーインパルスお別れフライト」と題した展示飛行と帰還記念式典が行われました。大勢の観客が見守る中、2年前の九州新幹線全線開通記念で飛ぶはずだった演目「サクラ」も披露されました。
松島基地には2013年3月30日に帰隊、翌31日には小野寺防衛大臣や地元の自治体関係者も集まって帰還記念式典が行われました。この年の6月1日には、東日本大震災からの復興を後押しするために福島県福島市で開催された「東北六魂祭」で展示飛行が行われ、復興の機運に弾みをつけました。
一方、松島基地の復旧は進み、2012年度内にブルーインパルスが帰還することになりました。2013年3月25日には芦屋基地で「ブルーインパルスお別れフライト」と題した展示飛行と帰還記念式典が行われました。大勢の観客が見守る中、2年前の九州新幹線全線開通記念で飛ぶはずだった演目「サクラ」も披露されました。
松島基地には2013年3月30日に帰隊、翌31日には小野寺防衛大臣や地元の自治体関係者も集まって帰還記念式典が行われました。この年の6月1日には、東日本大震災からの復興を後押しするために福島県福島市で開催された「東北六魂祭」で展示飛行が行われ、復興の機運に弾みをつけました。
参考資料など
写真提供:航空自衛隊(冒頭のブルーインパルスの写真は黒澤英介氏提供)