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【135年前の3月1日】初めて印刷された日本の天気図とは?

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2018/03/01 10:32 ウェザーニュース

天気予報の元になるのが天気図です。日本で初めて印刷されたのが、今から135年前の1883(明治16)年3月1日でした。ゼロから始めた気象観測網や気象電報がようやく整い、天気図が毎日つくられるようになったのです。
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立役者は“お雇い外国人”

日本で初めての天気図製作の立役者になったのは、プロシア(現ドイツ)生まれのエルヴィン・クニッピング(1844〜1922)です。1871(明治4)年に船員として来日しましたが、乗船していた蒸気船が日本に売却されたため下船し、開成学校(現・東京大学)でドイツ語と数学を教え、次に逓信局(後の郵政省、現・総務省)で船員を教え、3つ目の職が東京気象台(現・気象庁)でした。当時、世界を航海する船員に不可欠だった気象の知識を習得していたからです。

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エルヴィン・クニッピング
日本の気象業務は明治になり“お雇い外国人”によって進められていました。1882(明治15)年、東京気象台に入ったクニッピングの使命は天気予報の元になる天気図を製作するために、地方測候所を整備し、気象電報の通信体制を築くことでした。そのために陸路・海路で東北・北海道・北陸・近畿・中国・九州・四国を周って測候所を視察し、定時観測した結果を東京天文台に気象電報で知らせるよう指導しました。

12の数字からなる気象電報

初めて各地の測候所から気象電報を受信したのは1883(明治16)年2月16日でした。気象電報は通信料節約のために、気圧・気温・雨量を数字2字(コンマ以下は四捨五入)、風向・風力・雲向・雲速・天気・ウネリの方向を各1字の計12の数字で送ります。

試験的に行った気象電報が成功したため、この年の3月1日から天気図を毎日印刷して宮中や役所に配布され、新聞社にも提供しました。当時の印刷技術は石版印刷で、クニッピングが解析した天気図を元に版下が製作されました。

3ヵ月目には初の暴風警報

日本で初めて印刷された天気図を見るとあっさりしていて、等圧線が2本だけ引かれ、東北の東に高気圧、九州の西に低気圧のマークが描かれていますが、西から天気が下り坂という傾向を読み取ることができます。

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日本で初めて印刷された天気図
天気図が毎日印刷されるようになって3ヵ月目の5月26日には天気図を元に日本で初めて暴風警報が発表されています。全国的に暴風が吹き荒れましたが、各地の港に船舶が避難して難を免れました。クニッピングが帰国後に書いた『明治日本の回想記』には、「最初の暴風警報が発せられ、全国に及ぶ制度と成果が日本人によって認識評価されたのは確かであった」と誇らしげに綴られています。

日本の気象の礎を築いた

天気図が印刷されるようになった翌年の1884(明治17)年6月1日からは、天気図を元に天気予報が発表されるようになりました。

クニッピングは1891(明治24)年に東京天文台を辞すると帰国します。20年間の日本滞在中、婚約者を呼び寄せて日本で結婚し、5人の子を授かり育てます。帰国後はハンブルグの気象台の助手を務めたり、アジア関係の雑誌に日本の気象や暴風の特徴について述べた論文を発表するなど気象の仕事を続けました。

天気図を目にしたら、日本の気象の礎を築いたクニッピングを少しだけ思い出してみませんか?
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参考資料など

『クニッピングの明治日本回想記』(小関恒雄・北村智明訳編、玄同社)
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