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【中世日本の月食観】月食が怖かった!?

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2018/01/26 18:50 ウェザーニュース

1月31日は皆既月食です。日本では2015年4月以来、約3年ぶりとなります。古来、夜空に浮かぶ月は人々にとって愛でる対象だったのですが、昔の人びとは月食という現象に何を感じたのでしょうか。

実は日本の中世では、忌(い)むべき対象とされていたのです。

中世の人びとの月食観

九条兼実の日記『玉葉』や鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて起こった月食の記事が多くあります。当時の人びとは月食を「何か良からぬことが起こる兆し」だと考えていたようです。

例えば、九条兼実は月食のときには、「一字金輪法」や「愛染王法」(密教の修法の一種で、人に何か悪いことが起きるのを止めるためのお経のようなもの)をひたすら唱え、月を見なかったと言います。

また、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝は、月食を理由にわざわざ御家人の家に泊まったこともあります。これは月食の光を避けるためだったようです。

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源頼朝像
ただし、その際に頼朝は酒宴を催していますので、その実、月食は単なる口実だったのかもしれません。いずれにせよ、それが口実として成立していたわけですから、月食が忌むべき対象だったことは事実のようです。

表記が異なる

そもそも『玉葉』や『吾妻鏡』では、「月食」ではなく、「月蝕」と表記してあります。「食」が単にものを食べるという意味であるのに対し、「蝕」は蝕(むしば)む、つまり端から少しずつおかしていくという意味になります。

このような表記をしていたことからも、人びとが月食を良いものとして捉えていなかったことがうかがえます。

西行も歌に残した

平安時代末期の歌人西行も歌に残しています。

「忌むと言ひて 影に当らぬ 今宵しも 破(わ)れて月見る 名や立ちぬらん」——『山家集』より

この歌は「世間の人々は月蝕は不吉だと言って光にも当たらないようにしているが、私はそういう月であればなおさら、無理をしてでも見ようとする。奇人変人の悪い評判が立たなければ良いのだが」という意味になります。

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西行像
西行にとっては、月食も好奇心からつい見たくなってしまう対象だったようですが、この歌からも世間では月食が忌まわれていたと言えるでしょう。

現代に生きる私たちは月が地球の影に入ってしまう現象であることを知っていますが、あえて昔の人びとの思いを巡らせながら、月食を楽しむのも興趣ではないでしょうか。

参考資料など

「中世びとの月蝕観—『玉葉』と『吾妻鏡』の記事から見て−」(湯浅吉美、埼玉学園大学人間学部篇『埼玉学園大学紀要』2010年第10号)/「山家集・聞書集・残集 (和歌文学大系) 21巻」(西沢美仁・久保田淳・宇津木言行、明治書院)
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