facebook line twitter mail

戌年100年間の気象傾向を調べてわかったことは!?

2018/01/01 05:25 ウェザーニュース

12年ごとに迎える戌年(いぬどし)。過去の戌年100年余りの気象傾向を振り返ると、今年の気象傾向がわかるかもしれません。

異常気象がけっこう多い

box0
「平成18年豪雪」で雪崩防止作業に当たる自衛隊員(新潟県十日町市) 写真:時事通信フォト
前回の戌年は2006(平成18)年。前年の12月からこの年の1月にかけて、日本海側で記録的な大雪になり、自宅の屋根で雪かき中の高齢者が転落するなどして100名以上が亡くなり、「平成18年豪雪」と名付けられました。

その前は1994(平成6)年ですが、4月から全国的な高温と小雨が続き、夏は「観測史上最も暑い夏」(当時)と言われました。給水制限や断水が行われた地域も多く、12月には青森県と岩手県を中心に死傷者を出した「三陸はるか沖地震」(M7.6)が発生しました。

穏やかな年のはずが衝撃的な事件も

1982(昭和57)年は、長崎県を中心とした記録的な豪雨「昭和57年7月豪雨」がありました。傾斜地が多い長崎市では、死者・行方不明者299名のうち約9割が土石流や崖崩れによるものでした。

1970(昭和45)年は、春先が全国的に低温傾向、西日本では梅雨が長引き、梅雨明け後は全国的に暑さが厳しくなりました。大きな自然災害はありませんでしたが、日本赤軍の「よど号」ハイジャック事件、作家の三島由紀夫が割腹自殺するなど衝撃的な事件が目立ちました。

台風による洪水や大地震・津波

box2
「狩野川台風」の静岡県では堤防が流された
1958(昭和33)年の9月、神奈川県に上陸した「狩野川(かのがわ)台風」は、伊豆半島と関東地方に大きな被害(死者・行方不明者1269名、住宅の全・半壊約1万6000戸、床上・床下浸水約52万戸など)をもたらしました。沖ノ鳥島付近で観測された中心気圧877hPaは当時、最低気圧の世界新記録でした。

瀬戸内海沿岸も津波被害

box3
「室戸台風」で倒壊した大阪の四天王寺
1946(昭和21)年12月、潮岬(しおのみさき)沖で発生した「昭和南海地震」(M8.0)は、長野県から九州地方にかけて広範囲に被害(死者1362名など)を及ぼしました。津波は太平洋岸だけでなく、瀬戸内海沿岸にも達しました。

1934(昭和9)年9月には「室戸台風」が高知県室戸岬に上陸し、京阪神地方を直撃し、高潮や強風による建物倒壊などで約3000名の死者・行方不明者を出しました。枕崎台風(1945年)、伊勢湾台風(1959年)と並んで昭和の三大台風とされています。

北海道開拓が洪水でとん挫

box4
「明治43年関東大水害」で冠水した東京
1922(大正11)年12月には長崎県の橘湾を震源とする「島原大地震」(M6.9)が発生し、26名が犠牲になっています。

さらに戌年をさかのぼると、1910(明治43)年8月には、関東地方の前線に台風が接近して大雨をもたらしました。この「明治43年関東大水害」は、利根川、荒川、多摩川流域が氾濫し、死者・行方不明者は847名にのぼりました。

その12年前の1898(明治31)年の9月には、台風がもたらした大雨が北海道の多くの河川を氾濫させ、とりわけ被害が大きかった石狩川流域では死者・行方不明者は112名に及びました。この「明治31年洪水」は、橋や開通したばかりの鉄道、道路、耕作地を壊滅させ、北海道開発に着手以降最大の災害となり、それまで進めてきた開拓事業を一瞬にして後退させたと言われました。

長年培ってきた「災害文化」

こうしてみると、戌年には歴史的な自然災害が起こっていることがわかります。今年も大規模な自然災害に警戒する必要がありそうです。

戌年の「戌」は「滅」(「ほろぶ」という意味)と同義で、草木が枯れる状態を表しているとされます。だから大きな災害が多いのかもしれません。

日頃から減災に努めるのはもちろんですが、草木が枯れても、やがて青々とした草がおおい、若木が芽吹くのが自然の摂理です。こうしたサイクルと同様、日本の災害経験とそれを克服してきた歴史は「災害文化」として蓄積されてきたのです。

参考資料など

『日本歴史災害辞典』(北川糸子・松浦律子・木村玲欧編、吉川弘文館)
  • お天気トピックス
    もっと見る

  • 公式SNSアカウント