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最強の軍隊でも敵わなかったロシアの「冬将軍」の正体!!

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2017/12/02 11:40 ウェザーニュース

冬の天気予報でよく耳にする「冬将軍」。この言葉と“ヨーロッパ最強”と謳われたナポレオン軍の関係をご存知でしょうか?
冬将軍とは、「シベリア気団」あるいは「シベリア気団によってもたらされる強い寒さ」を表現する言葉です。

寒冷な大陸性寒気団の仕業

シベリア気団は、冬季にシベリアや中国内陸部で放射冷却により冷たい空気が蓄積されて強まる高気圧です。日本の冬におなじみの気圧配置である「西高東低」のうち、「西高」を構成しています。このシベリア気団からの冷たく乾燥した風が日本付近で北西の季節風となって吹くことで、厳しい寒さをもたらしているのです。

ではなぜ、シベリア気団が冬将軍と呼ばれるようになったのでしょうか。その歴史は19世紀まで遡ることになります。

ナポレオンのロシア遠征

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モスクワのフランス軍
フランス革命後に数々の戦果を上げフランス皇帝となっていたナポレオンは、1812年、ロシアへの侵攻を決意します。当時フランスはヨーロッパ諸国にイギリスとの交易を禁じる「大陸封鎖令」を出していましたが、ロシアがこれを破ったことが理由でした。

4月、ナポレオンは約50万という空前の大軍を率いてロシアへの遠征を開始します。兵力に劣るロシア軍を撃破し、9月にはモスクワを占領します。ところが、ロシアは講和に応じず、大陸軍のモスクワ滞在は長引きます。さらに、ロシア軍はモスクワ市街に放火するなど焦土作戦をとっていたため、大陸軍は満足な宿舎や食料などの物資を調達できず消耗していきます。そこへとどめを刺したのが、ロシアの厳しい寒さでした。

寒さがナポレオン軍に襲いかかった!

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「ナポレオンのモスクワからの退却」(アドルフ・ノーザン)
10月、ついにナポレオンは退却を決意しますが、この年は東欧へのシベリア気団の訪れが例年より早く、厳しい寒さが大陸軍を容赦なく襲います。12月までかかった撤退は、ロシア軍の追撃だけでなく、農民のゲリラ攻撃、飢えと寒さに苦しめられる辛い戦いとなりました。「飛ぶ鳥も死んで地面に落ちるほどの寒さ」のロシアの冬が、大陸軍の大敗を決定的なものにしたのです。

ロシア遠征では約24万もの犠牲者が出たほか、脱走兵や捕虜となった者も多く、ロシアを抜け出せた兵はわずか2万だったといいます。多くの精鋭を失ったナポレオンは、その後、勢いを取り戻すことができず、やがてイギリスを含む同盟国軍のパリ入城、そして退位を余儀なくされました。

ロシア遠征は、ヨーロッパ全てを支配する勢いだったナポレオンの転換点として記憶され、ロシアの寒さは“最強の”ナポレオン軍を破った「冬将軍」と呼ばれるようになったのです。

ちなみに、シベリア気団のもたらす寒さは、ナポレオンだけでなくドイツのヒトラーのソ連侵攻(1941〜45年)やスウェーデンのカール12世のロシア遠征(18世紀)も撃退したと言われています。