かつて世界4位の湖面面積を誇ったアラル海が消えようとしている。広大な湖が縮小したため生態系は破綻し、気候が大きく変わった。なぜアラル海は姿を消そうとしているのか?
なぜアラル海は干上がったのか
世界4位の面積の湖だった
アラル海が消えようとしているが、1960年の世界の湖の面積は次のようだった。
このときのアラル海は、日本の東北地方ほどの面積だったが、今や20分の1の3300km2と、鳥取県ほどに縮小し、消滅しかかっているのだ。なぜそうなったのか。
旧ソ連の農地拡大策
アラル海はカザフスタンとウズベキスタンにまたがる湖だが、1991年のソ連崩壊まで旧ソ連が統治していた。1960年代、ソ連はアラル海の東に広がる乾燥地帯を農地に変えようと灌漑(かんがい)を始めた。
灌漑の水は、アラル海に注ぐアムダリヤ川とシルダリヤ川から取った。2つの河川から灌漑用水路を引き、新しく生まれた農地では綿花が栽培され、ウズベキスタンの綿花生産量は150万t弱(1940年)から450万t(1970年)に増大した。
アラル海の水源が涸れた
アラル海の水源は、アムダリヤ川とシルダリヤ川の2つの河川以外にない。その水源が灌漑用水に使われたためアラル海に流入する水が減り、1960年代には年平均20cm、1970年代には年平均60cmのペースで水面が低下し、湖面は急激に縮小し、一晩で数十mも湖岸が後退することもあった。
豊かだったアラル海の生態系
1960年までのアラル海はサケやチョウザメなどの在来種に加えて外来種も放流され、年間4〜5万tの漁獲高があった。最盛期には2000人の漁民が漁を行い、5000人の労働者が名産のキャビアの瓶詰めや魚肉缶詰などの水産加工に従事した。
河畔の湿地帯にはヨシや林が広がり、ペリカンやフラミンゴなどの渡り鳥が飛来した。アラル海は「シルクロードのオアシス」と呼ばれるほど、生態系が豊かな湖だったのだ。
アラル海の塩分濃度が上昇
アラル海は、イスラエルの死海と同じように塩湖(えんこ)だ。1960年までは塩分濃度が1%と海水の3分の1程度だったため、淡水魚も海水魚も住めた。
ところが、2つの河川からの流入が減ってアラル海が縮小すると塩分濃度が上昇。1970年代には淡水魚が住めなくなった。1980年代には海水と同じ塩分濃度3.5%となり、塩分に強いカレイを導入することで漁業はなんとか続いた。
20世紀最大の環境破壊
1990年代になるとアラル海南部の湿地帯は干上がり、植生が砂漠の植物に変わり、渡り鳥が飛来しなくなった。
2000年に湖水の塩分濃度が海水の2倍の7%になると、塩分に強いはずのカレイも死滅して漁業が不可能になった。アラル海の危機は「20世紀最大の環境破壊」と呼ばれ、生態系は完全に破壊された。
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