熊本地震は未だ収束しない。一方、関東大震災から93年、私たちは日本橋一帯が燃え尽きたことをよく知らない。首都を襲った大地震はどんな被害をもたらしたのか? 記録や資料をたどり、記憶を呼び戻し、新たな災害への備えとする減災が今求められている。ウェザーニュースキャスターの松雪彩花(まつゆきあやか)さんが甚大な被害を被った日本橋を訪ね、関東大震災の実相を取材した。
火の海になった日本橋
わが国最大の地震被害
関東大震災の被害は死者・行方不明者10万人余り、倒壊・焼失した家屋が約37万戸。日本で最大の地震被害だった。なかでも被害が大きかったのが日本橋界隈。その日本橋で1699(元禄12)年創業という鰹節小売の老舗、株式会社にんべん監査役の秋山洋一さん(70歳)が語る。
「関東大震災は地震による建物の倒壊より、直後に発生した火災による被害が大きかったのです。日本橋瀬戸物町(現・日本橋室町)にあった、にんべんの店舗には60人の社員が働いていましたが、店はきれいさっぱり焼失しました」
薬品問屋から出火した
入念な事前調査をした松雪さんの質問から取材が始まった。
Q「日本橋区(当時)には約2万3000世帯あったそうですが、焼失所帯率が93.2%で、市中で一番多かったといわれています。なぜ日本橋区は火災被害が多かったのでしょうか?」
震災前後の日本橋(国会図書館提供)
左の三越は残ったが建物内は燃え尽きた
地元の歴史に詳しい秋山さんが答える。
A「当時、日本橋本町には薬品問屋が集まっていました。薬品のビンなどが地震で崩れ落ちて発火したのでしょう。地震の直後に日本橋区にあった薬品問屋のうち2軒から出火し、折からの南風にあおられてまたたく間に火が広がったそうです」
翌日の未明まで燃え続けた
秋山さんが続ける。
A「日本橋には、“東洋一の百貨店”とうたわれた三越や白木屋というデパートがありましたが、すべて焼けました。日本銀行も建物は残りましたが、内部は地下の金庫を除いてすべて焼けたそうです。このあたりの火災は翌2日の未明まで続いたといいます」
震災前後の日本橋(国会図書館提供)
百貨店の白木屋は焼け落ちた
当時、日本橋区の人口は12万4600人。記録によると死者・行方不明者は1189人。焼け出された人も含めて罹災者(りさいしゃ)は11万9228人で、人口に対する罹災率は95.7%にのぼった。
震災前後の日本銀行(国会図書館提供)
建物は残ったが内部の大半は燃え尽きた
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