総力特集

どうなる熊本地震!5つのシナリオ

地震で石垣が崩れ瓦も落ちた熊本城(時事)
地震で石垣が崩れ瓦も落ちた熊本城(時事)
4月14日以来続発している熊本地震。震度7の地震が2回起きたことも想定外なら、震源域の長さが100kmに及ぶことも異例だ。果たしてこれからどうなるのか?

明治期の熊本地震と驚くほど酷似

127年前にも起こっていた!

「最初(4月14日21時26分)に熊本で震度7の地震が起こったとき、また大きな地震が続き、やがて大分にも地震が起きるのではないかと思いました」と語るのは、元東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣(つじよしのぶ)さんだ。
都司さんの専門は歴史地震学。各地に残る地震の記録を精査して全容を描き出す分野だ。
元東京大学准教授の都司嘉宣さん

元東京大学准教授の都司嘉宣さん

都司さんの頭をよぎったのは、今から127年前の1889(明治22)年7月28日に発生した熊本地震だった。震源は今回の近く、地震の規模を表すM(マグニチュード)は6.3。家屋が倒壊し、死傷者が出た。

6日後にも大きな地震

この地震の6日後、再び大きな地震が起こった。余震が続くなか、Mは算出できなかったが、ドイツ・ポツダムの重力計に記録されていたというから、かなりの強さだったようだ。それまで減っていた余震は、この地震で再び増加して2週間余り続いた。
家屋の倒壊が多かった(熊本市中央区)

家屋の倒壊が多かった(熊本市中央区)

「余震が急に増えたことから、6日後の地震は初めの地震とは別の断層が動いたとみるべきです。今回の熊本地震と同じカタチです」(都司さん)

伝えられなかった地震の記憶

明治熊本地震の被害は、2回の大きな揺れによって死者20名、全半壊家屋366棟、そして24本の橋が落ち、41本の橋が損壊した。今回の被害より少ないのは、地震の規模を示すマグニチュードが小さかったからだ。
大規模な土砂崩れも(国土地理院)

大規模な土砂崩れも(国土地理院)

今回の熊本地震が発生したとき、地元の人は「まさか熊本でこんなに大きい地震が起こるとは思いもしなかった」と口を揃えていた。しかし、127年前に大きな被害を出した地震が起こっていた。その記憶は後世に伝えられなかったのだ。

2年後に別府湾でM6.3

明治熊本地震と今回の地震の符合はまだある。明治熊本地震の2年3ヵ月後の1891(明治24)年10月16日に大分県の別府湾でM6.3の地震が発生したのだ。
125年前は別府湾が震源になった

125年前は別府湾が震源になった

「そのことがあるから、今回も熊本の地震に続いて大分でも地震が起きると思ったのです。このときは2年後に起こりましたが、今回は地震の規模が大きかったため、熊本地震の2日後に大分でも地震が続発したのだと思います」(都司さん)
4月16日未明、地震が引き起こした土砂崩れで阿蘇大橋(南阿蘇村立野)は跡形もなく消えた。当日、国土地理院はドローンで土砂災害のようすを撮影した(動画約7分・国土地理院提供)。