SORA気象アーカイブス Vol.12

世界初・雪の結晶をつくった男

シャモニーの国際雪氷学会で(中谷は左) 1958年
シャモニーの国際雪氷学会で(中谷は左)
1958年
雪の結晶形を分類し、世界で初めて人工雪の結晶の作製に成功したことで知られる中谷宇吉郎。だが世界的スケールで氷の研究を展開し、地球温暖化に警鐘を鳴らしていたことはあまり知られていない。

雪は天から送られた手紙

写真を撮り雪の結晶形を分類

中谷宇吉郎(なかや・うきちろう、1900〜62年)教授が初めて雪の結晶写真を撮ったのは、北海道帝国大学(北大)理学部に赴任して2年後の1932(昭和7)年だった。冬が来て雪が降ってきたので、かねて興味のあった雪の結晶をガラス板に受け、校舎の廊下にセットした顕微鏡で雪の結晶を覗いてみた。
その水晶細工のような微妙な色、鋭い輪郭の中にこめられた変化無限の花模様。透明な結晶のモノクロームの世界の美しさに深く感動した。それが中谷の雪の研究の原点となった。
中谷が撮影した雪の結晶写真
中谷が撮影した雪の結晶写真
翌年になると、十勝岳(とかちだけ)の中腹、標高1100mほどの山小屋(白銀荘)に登り、零下15℃の野外でいろいろな形の雪の結晶の顕微鏡写真を撮った。十勝岳での撮影は数冬続き、写真は3000点を超えた。それを基に天然雪の結晶形を分類したが、これは後に雪結晶の国際分類の基準となった。
十勝岳の白銀荘のベランダにて 1934年
十勝岳の白銀荘のベランダにて 1934年

自然の美しさに感動しない人はダメ!?

中谷は「雪の結晶の美しさは形容し難い」と言ったが、また、雪の降った翌朝、朝日に輝く銀世界についても「冬の深山の晴れた雪の朝くらい美しいものはない」と随筆に書いている。
中谷は弟子によくこう言った。「きみ、自然を見てその美しさに感動しないような人は、研究をやめたほうがいいです。自然の美しさに感動することが研究の原動力ですから。そうでなければ寒さが身に沁(し)みるだけですよ」

上空の気象状態を知る

1935(昭和10)年、北大に零下50℃まで下げられる常時低温実験室を開設し、雪の結晶をつくる実験を始めた。苦心の試行錯誤の末、翌年、ガラス管の上部から吊るしたウサギの毛のコブに、六花の結晶を作ることに成功した。中谷は世界で初めて実験室の中で雪の結晶をつくったのである。
常時低温実験室で人工雪を製作する中谷
常時低温実験室で人工雪を製作する中谷
ウサギの毛につるされている人工雪
ウサギの毛につるされている人工雪
ガラス管内の温度と湿度を変えると、できる結晶の形が違った。横軸に温度、縦軸に湿度(過飽和度)をとったグラフ上に、どんな結晶がどの領域に成長するかを示した。
このグラフを参照すると、地上に降ってくる雪の結晶の形から上空の気象状態を知ることができる。中谷はこのことを「雪は天から送られた手紙である」と文学的に表現した。
人工雪の成功は、戦前すでにイギリスやアメリカの科学雑誌やラジオなどによって世界に紹介された。戦後、欧米の研究者たちは、中谷がまとめたグラフを「ナカヤ・ダイヤグラム」と名付け、その業績を讃えた。

雪の研究で学士院賞を受賞

中谷は国際的に評価され、1941(昭和16)年に雪の研究で学士院賞を受賞した。ところが、当時の物理学の主流を任じる学者たちは「中谷君の研究はおもしろいが、たかが雪の研究ではないか。あんな身近でやさしいものが物理学と思われたら困る」と文句を付けた。
それを聞いたさる大先生が、「そんなことを言うあなた方は、自分の分野で世界に誇れる何をしたんですか」とたしなめたという。
人工雪の成長過程を微速度撮影して映画に 1939年
人工雪の成長過程を微速度撮影して映画に 1939年

着氷防除と霧消しの研究

中谷は海外の研究者と交流があったが、太平洋戦争(1941〜45年)に突入すると海外とのつながりがいっさい絶たれた。その間に中谷は、軍から飛行機の着氷防除と飛行場の霧消しの研究を委託された。
着氷防除の研究は、ニセコ山頂に観測所を建て、天然の風洞をつくり、本物の零式戦闘機を運び上げて行われた。どんな研究をするときも基礎から始める中谷は、まず、着氷の成長条件などを徹底的に調べ上げてから応用、実用を考えた。
中谷が飛行機着氷の対策として考案したのは、翼の前縁にゴムを貼るという簡単なものだった。操縦士が遠隔装置でゴムをペコペコさせると着氷は翼から簡単に剥(は)がれ落ちた。
零戦の前で 1944年
零戦の前で 1944年
飛行場の霧消しも、まず基礎研究から始めた。夏季、北海道東岸に海霧が押し寄せて来ると、気球に乗って、霧の濃さなどを徹底的に調べたうえで、滑走路に沿って火を焚(た)いて霧を消すという対策を打ち出した。
この間、戦時中すでに完成していた日本最初の電子顕微鏡を使って、霧の核(凝結核=ぎょうけつかく)を世界で初めて発見するなど多くの成果をあげた。