SORA気象アーカイブス Vol.11

広島原爆、「黒い雨」の71年

広島市の上空に立ち上るきのこ雲
広島市の上空に立ち上るきのこ雲
年明け早々、北朝鮮が核実験を行った。核爆弾が使われたら何が起こるのか、71年前の広島・長崎が教えてくれる。広島原爆の「黒い雨」をめぐる71年をたどる。

「黒い雨」が奪った命

「原爆の子の像」のモデル

広島平和記念公園の一角に「原爆の子の像」が建っている。モデルは1945年8月6日、広島市に投下された原爆により、爆心地から1.7kmの自宅で「黒い雨」を浴びた少女、佐々木禎子(1943〜1955年)である。
広島平和記念公園
広島平和記念公園
原爆の子の像
原爆の子の像
禎子は元気いっぱいで育ったが、小学6年生のときに首のまわりにシコリができ、やがておたふく風邪のように顔が膨れあがった。白血病を発症したのだ。黒い雨を浴びてから9年余り経過していた。広島赤十字病院に入院した禎子は、千羽鶴を折れば元気になると信じて折り始めた。
晴れ着姿の佐々木禎子
晴れ着姿の佐々木禎子

米国に贈られた禎子の折り鶴

禎子が鶴を折り始めて1ヵ月足らずで折り鶴は千羽に達したが病状は思わしくなかった。禎子は「もう千羽折るわ」と祈り続けたが、1955年10月25日、亜急性リンパ性白血病で死亡した。
亡くなる日の朝、父親が何か食べたいものがあるかと尋ねると、禎子が「お茶漬けが食べたい」と言うので、急いで近くの食堂でご飯を買ってきて、お茶漬けにした。禎子はお茶漬けを2口食べ、「あー、おいしかった」と言い残して亡くなったという。
折り鶴は平和のシンボルになった
折り鶴は平和のシンボルになった
近年、禎子の親族と、広島・長崎への原爆投下を承認した米国のトルーマン元大統領の親族との間で親交がもたれ、2015年11月、トルーマン元大統領ゆかりの図書館に禎子が折った折り鶴の1羽が寄贈された。

井伏鱒二の小説『黒い雨』

作家の井伏鱒二(いぶせますじ、1898〜1993年)に『黒い雨』という作品がある。広島の被爆者が書いた手記を基に、井伏が1965年に発表した小説である。
被爆者夫婦のもとで暮らす姪の矢須子は、広島での原爆炸裂(さくれつ)時、広島市内とは別の場所にいた。しかし、矢須子は叔父夫婦の安否を確かめるために船で広島市に向かう途中、広島湾の上で黒い雨を浴びた。
そして再会した叔父夫婦と燃え上がる広島市内を逃げ回ったために残留放射能も浴びていた。やがて原爆症を発症してしまう……。広島に投下された原爆はその年だけで14万人の命を奪ったが、「黒い雨」による被爆者も少なくなかったのだ。
小説『黒い雨』を原作にした映画『黒い雨』が1989年に公開された。元キャンディーズの女優、田中好子が矢須子役を好演して評判になった。