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消えたマレーシア航空機? 元JAL機長が航空史上最大の謎を解く

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2017/12/05 12:42 ウェザーニュース

船や飛行機が跡形もなく消えるというバミューダトライアングル。
1945年、大西洋上空でアメリカ空軍機が消息を絶ち、その海域で行方不明事件が多発するきっかけとなった日にちなみ、12月5日を「バミューダトライアングルの日」と呼ぶ。2014年にインド洋で姿を消したマレーシア航空機失踪事件では、その海域が「アジアのバミューダトライアングル」と呼ばれた。マレーシア機失踪の謎を元JAL機長・杉江弘さんが解き明かす。

不可解な飛行コース

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ジャンボ機(B747)搭乗時間1万4000時間という世界記録を持つ杉江弘さん
2014年3月8日0時41分(現地時間)、マレーシア航空370便(B777)は乗員乗客239人を乗せてマレーシアのクアラルンプール国際空港を出発し、中国の北京国際空港に向かった。

ところが、離陸から約50分後、地上管制との交信が途絶え、南シナ海上空で左旋回して予定コースを大きく外れて南西に向かった。マレーシア空軍のレーダーは離陸後約1時間40分まで奇妙な飛行コースを捕捉していたが、そのまま消息を絶った。

マレーシア政府が公表した乏しい情報によると、マレーシア機は離陸から7時間30分にわたって飛行していたという。しかし、10ヵ国以上が参加して遭難機を捜索したが手がかりは全くつかめなかった。

杉江元機長の大胆推理

元JAL機長の杉江弘さんは、ジャンボ機(B747)の飛行時間が1万4000時間という世界一の記録を持っている。その杉江さんが推理を展開する。

「あくまで個人的な推理の範囲ですが、一番可能性が高いのは、マレーシア機のザハリエ機長(53歳)自身によるハイジャックです。ポイントになるのは通信手段と飛行ルートです」

管制を避けた飛行コース

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杉江さんが続ける。

「南シナ海上でマレーシア機が左旋回して南西に転進したのは、クアラルンプールの航空路管制レーダーの電波が届かなくなったところで、その頃にトランスポンダー(航空交通管制用自動応答装置)が切られています。通常は乗務員しか切ることができない装置です。その後の空軍レーダーが捕捉した飛行コースを見ると、各地のレーダー網をかいくぐって飛んでいます。すると、機長か副操縦士のいずれか、あるいは共謀の可能性が強くなります」

「機長と副操縦士の毎月のシフト(乗務割り)はコンピュータによって無作為につくられ、当日は偶然に同じ便の乗務についたとされているので共謀の可能性は低いと思われます」

「私の経験から言うのですが、マレーシア機に勤務していた10人の客室乗務員をコントロールし、疑われないように7時間30分のフライトを実行するのは副操縦士には無理です。しかし、機長ならそれが可能です」

背景にマレーシアの政治情勢

「ザハリエ機長の遠い親戚にアンワル元副首相がいます。アンワル元副首相は1980年代にマハティール首相(当時)に重用され、一時は後継者と目されました。しかし、政策の違いから1998年にマハティール首相に罷免されます」

「その後、アンワル元副首相は汚職と同性愛の罪で6年間服役。刑期を終えたアンワル元副首相は野党指導者として活動します。ザハリエ機長はアンワル元副首相の熱狂的支持者でした」

機長は政権と交渉していた?

杉江さんがいよいよ核心に迫る。

「マレーシア航空機事件の前日、アンワル元副首相は再び同性愛の罪で懲役5年の判決を受けました。機長が自らの機をハイジャックする動機が生まれました」

「おそらく機長が飛行コースを変えたとき、副操縦士は異変に気付き、阻止しようとしたでしょうが、何らかの手段で拘束したのでしょう」

「ザハリエ機長は、操縦席から無線かエーカーズ(航空無線データ通信)でマレーシア政府と交渉し、アンワル元副首相の解放を求めたのでしょう。もし成功すればインドネシアあたりの空港に着陸したのでしょうが、政権が拒否したため、インド洋に突入したのでしょう。要求は通らなくても、政権に打撃を与えることは確かですから。これではナジブ首相もマレーシア航空も情報を出すことはできません」

2015年の7月、マレーシア機の機体の一部がインド洋の西、アフリカに近いフランス領レユニオンで発見された。しかし、乗員乗客全員とボイスレコーダーや機体の大部分は、いまだに発見されていない。