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津波で飲み込まれましたが、ハッポースチロールにつかまって泳いで帰ってきた(宮城)
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幹線道路で渋滞が起こってました。津波がすぐ近くまできたので、会社の屋上に避難しました。屋上から道路を見ると渋滞の車はなく、流されていました。道路から目を離したのはほんの数分でしたが、津波の速さと勢いに声が出ませんでした。(福島)
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いつも行く三崎公園海岸で地震が起きて腰が抜けそうで怖かったけど、前からウェザSANの地震と津波の説明に目を通してたから、直ぐに海岸から逃げたその後津波警報がラジオで流れ私自身一足早く逃げる事が出来助かりました!!(福島)
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仙台市内にいるので、書ききれないほどあります。甥は新港で津波にのまれましたが流れてきた住宅のベランダ格子に必死にしがみつき、妹を離さずに堪え実家まで歩いて帰ってくる事ができました。崩壊した住宅に入り乾いた衣服に着替えて移動してきたそうです。(宮城)
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8人程でいて津波に飲まれたが、1人が4時間半泳いで避難所へ到着。即レスキューに連絡、結果4人生存。(宮城)
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巨大な津波が電信柱や木をなぎ倒し、道路をのぼる。眼下のたくさんの家々を飲み込み、爆発を伴った火災が一昼夜続く。100キロ離れた自宅へ帰れず夫と 6ヶ月の娘と車中泊。そんな中、被災された地元の建設業者の佐藤建設が夜を徹して道を切り開いてくれ、残雪のある山を越えて地震発生から24時間、無事帰ることが出来た。私達が被災した岩手県山田町の情報が全く報道されず心配だった。あの場で残された人達は援助を受けることが出来ているのだろうか?取り残されている人がいるのでは無いだろうか?ヒッチハイクで大槌町から宮古市の自宅へ帰ると言っていた男性、自宅は無事だったのだろうか?今私達はガソリンや食料品、生活物資の不足でいつもより不便を感じているが、私の見てきたあの現地の人達を思うと、まだまだ我慢することができる。計画停電がなんだ。現地では生死の境をさまよっている人がいるんだ。私達には何ができるか考えるべき。(岩手)
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自宅の2階に逃げた瞬間、津波にのまれ、家ごと流されたが、奇跡的に高い丘に着いたので、そこから裸足で逃げだし、助かった。高い丘の隣は、引き潮になっていたから、もしそこに行ってしまったら、ここには、居なかった。奇跡と奇跡が重なり、今にいたります。周りの知り合いの久々は、今だに確認出来ません。自分がここに居て、良いのか?何で自分だけ助かったのか?とか、考えてしまう時があるが、ポジティブにいかなくてはいけない、そして犠牲になった人達の分まで、強い気持ちで生きて行かなくていけないと考え方を変えました。これから先、みんなさんと協力しあって、励まし合いながら、頑張って行きたいと思います。(宮城)